第二次石破政権の反動諸攻撃を打ち砕こう!

「反議会主義」の闘いの地歩をうちかため、労働者階級の階級的団結のさらなる前進をかちとろう!

 

 10.27総選挙にむけた狂騒は、自民・公明の過半数割れ、全体としての野党勢力の伸張という結果をもって、新たな政権抗争・政界再編の出発点へと収斂された。わが探究派は、そしてわが探究派とともに闘う仲間たちは、この総選挙にむけた狂騒の真っ只中で、職場で・また地域で、労働者たちにブルジョア議会の、ブルジョアジー独裁の「イチジクの葉」たる本質への自覚を促し、「反議会主義」の立場にたって、総選挙にいたる大濁流に抗して闘うことを訴え、創意工夫をこらして闘ってきた。このわれわれこそが、成立した第二次石破政権の反動諸攻撃を打ち砕く闘いの先頭にたちうるし、またたつのでなければならない。
 反戦・軍備拡張反対!搾取反対・生活苦突破! の闘いを職場・地域から創造しよう!

 

独占ブルジョアジーの下僕と化す野党

 

 自公の過半数割れに欣喜雀躍(きんきじゃくやく)し、「この時をまっていた!」と叫んでしゃしゃり出たのが、玉木雄一郎をその顔とする国民民主党である。公明党を加えても過半数議席をとることができなかった自民党が〝白羽の矢〟をたてたのが、国民民主党であった。わずか28議席にすぎないとはいえ、「キャスティングボード」を握った、とばかり舞い上がっているのが、玉木の国民民主党であり、今、まさに彼らは相思相愛の瞞着劇をくりひろげている。とはいえ、もちろんこの〝蜜月〟は自民党が国民民主党を下僕化したことを示すものであり、自民党中心の政権に野党をとりこむことをめざす日本独占ブルジョアジーの策動が功を奏したことを意味する。玉木の「不倫」問題の暴露は自民党による玉木の〝ハシャギスギ〟への恫喝・国民民主党への威嚇以外のなにものでもないのである。
 また「連合」会長の芳野は、この選挙結果について、〝共産党と共闘しなくても勝てることが証明された〟と発言した。この発言は、「連合」労働貴族どもが自民党と結託し、国民民主党のみならず立憲民主党にも自民党政権の補完勢力となることを、公然と求めたものと言える。労働貴族どもは、「連合」を「野党と市民の共闘の敷き布団」(共産党)ではなく、〝ブルジョアジーの政権の敷き布団〟とする意図を隠そうともしない。

 

〝やっぱり〟敗北した日本共産党官僚の憔悴

 

 このような階級的現実を前に、暗澹たる心境に追い込まれているのが、日本共産党の官僚どもである。「野党共闘」は破綻したとはいえ、共産党が躍進する「絶好のチャンス」であったはずの今次総選挙において、彼らは議席を減らし(10議席から8議席へ)、山本太郎の「れいわ新撰組」(9議席)の後塵を拝するまでに転落した。彼らは「裏金問題で自民党を追い詰めたのは共産党」「2000万円問題をあきらかにしたのも共産党」(委員長・田村)と称して、「野党共闘」路線の破産と敗北を隠蔽し、手柄話で自己を慰撫するばかりである。だが共産党の実態を知る党員たちにとってはこの敗北は〝やっぱり‥〟なのである。集票主義丸出しの「全労連」のひきまわし、「社会主義革命」を放棄して久しい彼らの思想的衰退〔ある下級幹部党員は、「いまどきマルクスを読む党員はウチにはいませんよ」とほざいた。〕と党員たちの相次ぐ離脱等々、彼らが言う「党勢」は、党員数においても「赤旗」読者数から言っても減少・衰退の一途であるから、ある古参のインテリ党員が選挙前から「結果は見えている」とつぶやいていたのも宜(むべ)なるかな。

 

「衰滅の危機」にあえぐ「革マル派」労働者組織

 

 この選挙結果とその後の階級的諸動向について「革マル派」中央官僚は語る。
 「日本人民の上に君臨してきた自民党が、ついに人民の怒りに包囲されて根底から崩落するという事態が現出した。」「貧窮のどん底に突き落とされてきた労働者人民の積もり積もった怒りの爆発」(「解放」第2843号2024年11月4日付)。
 なんと労働者たちの苦難とはかけ離れた妄言か!自公の過半数割れは、旧来の「自民一強政治」という〝剛構造〟から、自民党がこれまでの野党をも「政策協議」にまきこんで日本独占ブルジョアジーの支配を貫徹するという〝柔構造〟への転換をもたらしただけのことである。いや、このことは同時に「連合」指導部が傘下の諸労働組合をも新たな政権を下支えするものへとますます変質させていることをも示すものであって、労働者階級はますますもって危機に追い込まれ、その苦難はいよいよ深まっているのである。この危機を何ら感じ取ることもなく、自民・公明が過半数をわりこんだことを喜びをもってうけとめているのが、「革マル派」中央官僚なのである。(蛇足ながら、2016年のアメリカ大統領選挙でトランプが勝利したことを〝労働者階級の力〟によるものとして喜び、「ヒラリー、ざまぁ見ろ!」と口走った彼らには、このくらいは朝飯前、というべきか。)
 彼らは「日本労働運動の衰滅の危機を突き破れ」(「解放」第2844号2024年11月11日付)と叫んでいる。当該論文はいう。「だが、これに抗する動きが、わが革命的・戦闘的労働者の奮闘によって、平和フォーラム系諸産別などの内部で生まれつつある。」そもそも労働運動を外側から眺めわたし、「これに抗する動き」を探すとはなにごとか!なんと客観主義的な言辞であることか。だがそれは彼らにはふさわしい。彼らはかつての総評労働運動の中軸をしめていた官公労組の〝残り香〟に期待を寄せ希望を見いだしているのである。だが考えてもみよ!今次総選挙の過程で、彼らが期待してやまない自治労などの主要部分は、立憲民主党などの選挙活動に勤しんでいたのであって、「リベラル」ないし「中道」の議員・政党への依存を深め、労働者魂など失って久しい姿をさらけ出したではないか。「革マル派」中央官僚派の労働者たちは、このかん、その自治労の内部でいったいどのような闘いを進めたのか!
 かつて「戦闘的労働運動の防衛」を叫んだブクロ派官僚どもにたいして、「戦闘的労働運動を防衛するのではない。われわれが戦闘的労働運動を創造するのだ。」と堂々と喝破したのは、若き日の松崎明であった。そんなことも彼らは忘れている。「戦闘的労働運動の防衛」ならざる「労働運動衰滅の危機の突破」を叫ぶ彼ら中央官僚にはみずからが日本労働者階級を組織するのだ、という気概などありはしない。みずからの意に少しでも叶う勢力を見いだして希望を託しているのが、今日の彼らなのだ。
 だが「衰滅の危機」は、実はもう一つの真実を表している。彼らが期待してやまない「平和フォーラム系諸産別」においてさえ、中央官僚派の労働者たちの多くは高齢化して組合員資格を失っている。中央官僚派の労働者組織そのものが生命力を失い、「衰滅の危機」にあることを、彼らは問わず語りに語っているのである。
 いやそもそも、――わが探究派は、10.27にいたる大濁流に抗して闘うべきことを労働者階級に訴え、各戦線で奮闘してきたのであるが、――彼ら中央官僚は、この過程でのみずからの闘いについて何も語ることがない。大濁流にただ呑み込まれていただけのことなのである。そして結果が出て、大喜び!この体(てい)たらくは、彼らが労働者たちを階級的に組織する苦闘からも・その喜びからも解き放たれて久しいことの結果なのである。
 われわれは「革マル派」中央官僚派の組織的解体をかちとり、探究派建設の前進=日本反スターリン主義運動の再生と、これをテコとした労働者階級の階級的組織化を断固として推し進めるのでなければならない。

 (二〇二四年一一月一五日 潮来一郎)