プロレタリアートの階級的力を創造し強化するために、全世界の革命的左翼は自らの組織実践を教訓化し普遍化していこう! ——第二回ミラノ国際会議について(連載その2)

 以下に掲載するのは、イタリア・ミラノで開催された第二回「国際主義者会議」出席者に向けたわれわれ革共同・探究派のメッセージを邦訳したものである。

 今回は現地に赴くことができなかったため、私が以下の文章を英語で読み上げてその動画を実行委員会に送付し、2月17日当日に会場で放映してもらう形をとった。

(国際部・春木良)


同志の皆さん!

 ウクライナパレスチナ帝国主義戦争が継続している中で、国際主義者が一同に会し、プロレタリアートの革命的団結の方向性について討論する機会が再び設けられたのは、きわめて意義のあることです。この会議を設定してくれたイタリアの同志たちに心からの感謝を表明するとともに、今回ミラノに来られなかったことを私はとても残念に思います。左翼諸組織間の不和は未だ深刻であり、また各国それぞれの組織内部では、意見対立がそのまま分裂を引き起こすという悪しき傾向が未だ克服されていません。前回の会議において、私たちはたしかに、統一見解を決議することも具体的な闘争の方針を確定することもしませんでした。しかしこのことは、ミラノでのこの会議が単なるサロンの場であることを何ら意味するものではありません。左翼の分裂を克服して、異なる立場の諸団体が意見交換する機会を確保することだけでも大変な労力がいることです。フランスNPAの諸君が述べていますように、「ミラノ国際会議には限界があり、それは誰の目にも明らかである。しかし、その存在そのものが、革命的組織間の交流を可能にする重要な一歩を示している」。これからも、<批判の自由・行動の統一>というボリシェヴィキ的原則に立脚して、革命的インターナショナルの建設のために討論を進めましょう!

 さて、皆さんの提出した論文に目を通しての感想をまずは述べておきたいと思います。イスラエルによるパレスチナ人民大虐殺、そしてウクライナにおける東と西の帝国主義ブロック間の戦争に対して、全ての同志が反対しています。帝国主義戦争のグローバルな拡大に断固反対すること、これが、革命的左翼としての私たちに共通の土台です。その上で、私たちの間には見解の相違点があります。

 最も焦点になっているのは、ロシアの侵略で殺されているウクライナ人民に関して、そしてシオニスト国家によって今も虐殺されているパレスチナ人民に関して、私たちが「民族自決権」支持のスローガンを打ち出すべきなのか否かという問題です。この点に関して私たち探究派は、昨年夏の会合において、国際主義者がプルジョア民族主義の要求を代弁するべきではないことを主張しました。私たちの見解は、例えばロッタ・コムニスタの同志たちの見解と近しいのですが、しかし同じではありません。ロッタ・コムニスタは、レーニンの時代の「共産主義者は、共産主義革命の時期を早めることができる場合にのみ、ブルジョア民主主義革命を支持した」と指摘して、「民族自決権」のスローガンの有効性に歴史的な限定をつけています。たしかに、植民地解放を目指した20世紀前半の各地における闘争は、帝国主義的世界支配を打ち破るための重要な軸をなしてきたのですが、今日なお「民族自決権」を擁護することは、革命的左翼が自らをナショナリズムの呪縛にしばりつけることになり、そればかりか「ウクライナ国家の主権」あるいは「パレスチナ独立国家樹立」を主張して戦争を正当化する東あるいは西の帝国主義ブロックを利することになります。この点で、ロッタ・コムニスタの同志たちの主張は正しいと思います。

 しかし私たち探究派があえてこれに付け加えておきたいのは、革命的左翼は「国民国家」そのものを否定しなければならない、ということです。マルクスエンゲルスは『共産党宣言』において、「プロレタリア革命は内容からすれば国際的だが、その形式からすれば一国的nationalである」と書きました。このことの意味は、プロレタリアートはまず民主的なブルジョア国家の建設に参画せよ、ということでは決してないのです。たしかに当初のレーニンは、帝政ロシアを打倒する戦略として、ブルジョア民主主義革命および「民族自決」の実現の後に社会主義革命の達成という二段階を構想しました。しかし彼がこの二段階戦略を、いわゆる「四月テーゼ」において実践的にのりこえたのだということは、皆さんご承知の通りです。「民族」それ自体が、ブルジョアジープロレタリアートを国家の支配下に統合するための虚構的な概念なのですから、「民族自決」の延長線上でプロレタリア革命の展望がひらけてくるかのように考えるのは間違いです。西側帝国主義陣営に属する北米・EU・日本その他では、すでにブルジョア・デモクラシーが制度化されています。そうした今日、私たちが掲げるべきスローガンは、プロレタリア革命への呼びかけ以外にはありえないです!パレスチナ問題に関しても、私たちは「パレスチナ独立国家樹立」ではなくして「ユダヤ、アラブの民族的・宗派的対立を克服した中東全域のプロレタリア的解放」でなくてはなりません。

 さらに加えて私が指摘しておきたいのは、「民族自決権擁護」を主張する諸君は実のところ、プロレタリアートへの不信を抱いているのではないか、ということです。すなわち、プロレタリアートがなお自らを革命的階級として組織しえていないという現状、あるいは同じことですが、革命的左翼が前衛党としてプロレタリアートを革命的階級として組織しえていないという現状、この現実を悲観している人々こそが、現にあるところのウクライナパレスチナの「民族」的な闘争のエネルギーに追従したがっているのではありませんか。こうした傾向を最も顕著に見てとることができるのは、ウクライナの「社会運動」(Соціальний рух)などの「自発的な」「レジスタンス」への連帯・民生支援を呼びかける、西側のグループにおいてです。そうした人々が、ウクライナナショナリズムを擁護することによって労働者階級をグルーピングしているのと同時に、エコロジーフェミニズムを党の戦略的スローガンにまで高めているのは決して偶然ではありません。そうした諸組織は、要するに、プロレタリアートの階級的力への不信を暗に抱いているのだと私は思います。しかし不信の目を向けるべきはプロレタリアートの側に対してではなく、プロレタリアートを組織化できていない自分たちの側に対して、ではないでしょうか。

 かつて社会民主主義者やスターリニストが組織していた労働運動は今日、独占ブルジョアジーによって壊滅させられました。この現実を大胆にひっくり返していくために、われわれ革命的左翼がそれぞれの労働現場で如何にして階級闘争をゼロから創造していくのかが、まさしく問われているのです。たしかに、ブルジョアジーが搾取を強化している中で、アメリカや英国やヨーロッパ、そして日本でも、労働者たちがストライキ闘争を繰り広げて果敢に抵抗を試みてはいます。だがこれらの英雄的な戦いはなお散発的であり、革命的左翼が組織したものだとは到底言えません。そうした戦闘的な労働運動に対してその外部から革命的な闘争指針を注入するというのが従来のトロツキズムの伝統でしたが、それでは明らかに不十分なのです。

 このような見地に立って私たち革共同・探究派は、それぞれの党員自身が自らの職場において仲間たちに働きかけ、彼・彼女らを労働者階級の一員として強化し組織するという活動をこのかん繰り広げてきました。この活動の只中で私たちは、職場の同僚たち対する自分の従来の関わり方を不断に反省して自己を変革することによって、同僚たちもまた自らをプロレタリアとして自覚し戦闘的労働者へと脱皮していく、というあり方を現実に経験してきました。それぞれの職場において、産業下士官たちが労働強化の攻撃をかけてきたその時々に私たち党員が一労働者として、この攻撃に対決する闘いの最先頭に立つことによって同僚たちから信頼をかち取り、そしてまた彼・彼女ら同僚もまたわれわれ革命的左翼の姿を見ることによって、自らの革命的階級としての内なる力を自覚すること。これこそが肝要なのです。職場でのこの闘いなくして、ただ外部からのプロパガンダだけでは、戦闘的労働運動の再生も、また労働者評議会結成への展望も、何らひらけてくることはないでしょう。

 私たち探究派は、腐敗した革共同革マル派から分裂した、なお小さな組織です。私たちに比すれば、この会場に結集している皆さんの方が、それぞれの職場そして労働組合の指導部に党員を有していることと思います。「革命的な階級意識」を労働者たちに注入するというレーニン的戦術、あるいはプロパガンダの重要性を強調する同志たちは、実のところ実践的には、私がさきに述べたような職場深部からの階級闘争の推進について、多くの教訓を積み重ねてきたはずです。皆さんが自らどのようにしてプロレタリアートを組織してきたのかについて、教訓を振り返り理論化して、それを全世界の革命的左翼へと共有し普遍化してくれることを、私は切に希望しています。そしてこのプロレタリアートの階級的組織化をめぐって、プロレタリア権力の樹立をいかに達成するべきかをめぐって、今後も同志的な討論を繰り広げていこうではありませんか。この国際会議では、今日の世界情勢への対応が議題の中心にあり、情勢分析に関する見解の相違は容易に揚棄しがたいものです。そうした相違を理由にして私たちの間の分断を深めるのではなく、革命的インターナショナルの創成を目指す同じ仲間として、階級闘争の推進という共通の問題を議題にすることを、私たちは皆さんに呼びかけます。私たちは是非とも皆さんから、学びたいのです。同志諸君!共に前進していこう!
(2024年2月17日 日本革命的共産主義者同盟・探究派)