斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』を読んで

 斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』を読んで、この感想を書いております。
斎藤氏はマルクス研究者という学者の立場からとは言え、鋭い提言をされているとお見受けしました。現在の米・英・日らの独占資本家や権力者らの新自由主義イデオロギーとその策動を「技術開発」による「資本主義の加速主義」と分析しかつ、気候変動危機、およびコロナ危機下の現状を抉り出し、それの解決方向を見出そうとする真摯な努力をされているものと受け止めました。その中でも、資本論第1巻刊行後におけるマルクスのゲルマンやロシアの共同体研究に踏まえたコミュニズム思想の豊富化の成果にのっとった方針を解明しようとする斎藤氏の追求には教えられるところが多々ありました。
 気候変動危機を逆手に取ったブラジルのボルソナーロ大統領のアマゾン森林伐採などのエコファシズム、や「コロナ危機」への対処・対策における「中国、台湾などの気候毛沢東主義」などの分析については学ぶことが多くありました。
 また、特にマルクスの共同体研究の分析のところを読んで、自分が子供の頃に住んでいた隣地が資本主義的巨大工場に変貌していく様を目の当たりにしてきた者としては感慨深いものがありました。
私の生まれたところは元々は農村地帯であり、かつ降水量が少ないために飲み水や農業用水の確保のために古くから溜池や井戸をたくさん作り、それらを地域毎に共用・共同管理してきていました。しかし、巨大製紙工場からの苛性ソーダの排水で町内に1本しかない川が汚染されたばかりか子供たちの遊び場所でもあったそのような井戸や溜池もいつの間にか使えなくなってしまいました。
 斎藤氏はこれらの『公共』をマルクスが言う「潤沢なコミュニズム」のコモンとして明らかにし、それを「脱成長のコミュニズム」として、「技術開発」重視の新自由主義者による資本主義の「加速主義」に対抗するものとして位置づけその復活を提言しています。それらはかつては農民たちが「共同で管理」してきたものですが、斎藤氏は、その新しいコモンの担い手としてその地域に住む「市民」を位置づけています。また、「脱成長」で長時間労働から解放されるであろう「労働者」もその主要な担い手として位置づけています。しかし、これらの「理想社会」の実現をいかにして行うのか。その場合に当然起きるであろう資本家によるサボタージュや抵抗、そして、国家権力の暴力的弾圧等については全く触れられていません。ともあれ晩期マルクスが「成長至上主義」から「思想転換を遂げた」と評価し、このマルクスの思想を普及させるならばそのような「理想社会」が実現されるとでも考えているのでしょうか。また、斎藤氏が「成長至上主義の怪物」と規定するソ連スターリン主義や中国毛沢東主義も自動的に克服され、変わっていくとでも考えているのでしょうか。もっとも、彼自身はスターリン主義者の考えには絶対に「くみしない」人のようですが。とはいえソ連スターリン主義や中国毛沢東主義についてそれらがマルクスの影響を受け継いでいるととらえ、「マルクスの本当のコミュニズム思想」を広めていけば克服できるとでも考えているかのようです。現時点での斎藤氏の活動拠点は緑の党=「グリーン・ジャパン」であり、そこでの講演活動と著作の執筆活動にあるようです。
 斎藤氏は海外での研究生活が長く、残念ながら日本の反スターリン主義については影響を受けていない(?)かのようです。また、斎藤氏自身の日本・アジアの「農村共同体」についての研究・言及はまだなされていないと思われます。そこで提案しますが、日本の村落共同体について「在野の研究者達」との真摯な「交流」を提言してみてはいかがでしょうか。
       (二〇二〇年一一月六日 土風歌謡 )