『解放』2846号(24年11月15日付)において「革マル派」中央官僚は、友好組織のFLTI(国際レーニン主義・トロツキー主義派)がブエノス・アイレスで開催した国際会議を大々的に宣伝し、ウクライナ「社会運動」(ソツィアルニィ・ルフ)による短文および自らもこの会議に寄せたメッセージを掲載した。
といっても「革マル派」国際部のメンバーが現地に行ったわけではなく、会議の中身は紹介されていない。そのためFLTIのホームページなどを手がかりに推測するしかないのだが、どうやら主催者の利害関心は、会議のタイトルにある「革命的マルクス主義と戦争」をめぐって討論を深化させるよりもむしろ、同時期に同じブエノス・アイレスでスターリニストやカストロ主義者が開いた「ハヴァナ・フォーラム」に対抗することにあったようだ。FLTIのホームページに掲載されている長文からは、南米の左翼に特有の複雑な党派間対立が垣間見える(注1)。
「革マル派」指導部もそのことを知ってか知らずか、友の敵は我の敵、とばかりにこう述べている——「ウクライナ戦争問題は、あきらかに、ささやかながら残存する世界の自称「左翼」をふるいにかけた。[…]こうした「人民の味方」を装った「労働者階級の敵」を一掃することもまた、われわれの一つの任務なのである」。何とも勇ましいことだが、「古くからの友人」FLTIの見解は自分たちのそれと大きく隔たっているのを、いつまで隠せると思っているのか。
(注1)https://www.flti-ci.org/english/event-mw/2024/november/article-against-even-oct31-2024.html
珍奇な言い訳:オンライン参加もできないのはなぜか
今回「革マル派」がアルゼンチンでの国際会議に寄せたメッセージ(注2)には次のような一言が付けられている。「私たちの日本はアメリカ帝国主義の「属国」として、インターネットなどがすべて米日両国の諜報機関により監視されています。だから今回は、メッセージを送ることしかできなかったことをお許しください」。このような言い訳は前代未聞である。日本ナショナリストに転落してアメリカのくびきからの〈解放〉を求めるような、もはや左翼でもない組織がどれだけ「監視」されているのかは甚だ疑問である。なるほど、全学連メンバーの住居に対するガサ入れはあったとして、これだけで国際活動を縮小させて身動きを控えるほどの理由になるのだろうか。『解放』紙にはFLTI指導部のムンセール氏による「返信」が紹介されているが、そこには、「革マル派」がオンライン参加すらしなかったことを不可解だと感じる彼の気持ちがにじみ出ているではないか。「この会議には、メッセージの送付あるいはオンラインでの直接対話という形式でも、多くの同志が参加しました。」
(注2)https://www.flti-ci.org/english/syria/2024/november/event-2nov-japan.html
はじめてのゼレンスキー「批判」
米帝によるアフガン侵略反対の闘いから20年以上、その時からの友たるFLTIの主催する会議であるのに、「革マル派」中央官僚がオンライン参加すらできなかった理由はなぜか。ブエノス・アイレスが日本にとって地球の裏側にある、という距離や時差の問題では何らあるまい。実のところ「革マル派」指導部は、FLTIメンバーと顔を合わせるのが怖いのである。なぜならこの友好組織は、プーチンの側に立つ「左翼」ばかりでなく「NATO支持派」(pro NATO currents)を明確に弾劾してきたのだからだ。
「革マル派」中央官僚はこれまで一貫して、ゼレンスキー政権とウクライナ国軍と郷土防衛隊そして労働者階級が「一体となって」ロシアの侵略軍に抵抗していることを賞賛してきた。そして、そのような「決死の」闘いにも関わらず、ゼレンスキー政権に最新兵器を積極的には供給しようとしない米・欧の帝国主義国家権力者の態度を「国家エゴイズム」だと非難してきたのである。2022年、第60回国際反戦集会の海外アピールにおいて「革マル派」は、「ウクライナ侵略軍を撃退するために「大量で急速な武器援助」を要求しているゼレンスキー政権にたいして、彼らはわずかな援助しか与えようとしていない」と慨嘆してみせた(『解放』2725号)。FLTIの立場からすればこれはまさしく、ウクライナ国家を防衛するために「NATOに武器を要求し、帝国主義を「抑圧された国々のための解放軍」に見せかけている」ような「NATO支持派」の連中(注3)と同じ態度にほかならない。
FLTIが「革マル派」の転落を直視しないのは、まだ彼らが「革マル派」を古い友人として信頼しているからであろう。また「革マル派」中央官僚もFLTIに弾劾されるのが怖いからであろう、姑息にも今回のメッセージに次のような一文を加えた。「ちなみにウクライナには「帝国主義の平和ではなく人民の平和を」をかかげて、ロシア侵略軍にたいして戦うとともに、ウクライナという国家の存続を外国資本の誘致にもとづくブルジョア的復興に求めているゼレンスキー政府にたいしても反対して、地を這うような闘いをすすめている左翼がいます。こうした人たちへの心からの連帯のもとに、私たちは闘っていかなければならないと思います。」これが「革マル派」指導部によるはじめてのゼレンスキー「批判」である。しかしこのような一文でさえ、日本国内向けの文章には全く出てこない。あくまで対外的に、自分たちが「NATO支持派」ではないと自己弁護したくて、ようやくひねり出したものなのだ。
(注4)https://www.flti-ci.org/english/event-mw/2024/november/box-ukraine.html
国際部はどこに行った?
FLTIとの連絡をはじめ、これまで「革マル派」国際部のメンバーとして実務を担っていたのはKHとKTであった。しかし今回、『解放』六面に掲載された報告記事は、どういうわけなのか「政治組織局」の署名によるものである。昨年、イタリアの共産主義組織「ロッタ・コムニスタ」を批判する記事を書いてみたはものの(『解放』2796号)、かえって同志松代による全面的な批判をくらって(プラズマ出版刊『革マル派の死滅』を参照)、国際部の面々はダウンしてしまったのだろうか。一からやり直すために彼らがどこかでプロレタリアとして研鑽しているのならいいのだが、「政治組織局」の連中によって、そうはできないような場所に追いやられてるのではあるまいか。
「革マル派」中央官僚は一昨年、「ロッタ・コムニスタ」が彼らを批判したメッセージを改竄して下部組織成員に見せないように試みた(プラズマ出版刊『ナショナリズムの超克』を参照)。今回は「政治組織局」の名において、友好団体FLTIとの関係を壊さないように、きわめて姑息にも「ゼレンスキー批判」を文章に突っ込んだのである。けれども、左翼としての化けの皮はわれわれの手によってもうすっかりはがされている。FLTIの諸君も、そう遠くないうちに“革マル派の死滅”を認識するであろう。
「革マル派」下部の労働者、学生諸君!
今こそ自らの指導部に対する一切の幻想を断ち切り、真実のプロレタリア前衛党を建設するために、わが探究派と共に闘おう!
(2024年11月30日 春木 良)