ロシア帝国主義の侵略に抗するウクライナ労働者・人民とは無縁な「革マル派」 (「解放」第2708号2022.3.7 一面論文批判)

ウクライナ労働者・人民に「ゼネスト」を号令する「革マル派」現指導部

 

 「解放」第2708号一面論文は次のように述べている。――「そして侵略軍にたいするレジスタンスを果敢にたたかうウクライナの労働者人民よ! プーチンの狙いはウクライナのロシアへの併呑ないし属国化だ。このことをみさだめ、レジスタンスとともにゼネストを敢行せよ。」と
 この筆者のいうレジスタンスとは何をさしているのだろうか。
かつて第二次世界大戦時のフランスやユーゴスラビアで武器をとって闘った労働者・市民の闘いが、賞賛の意味をこめて「レジスタンス」とか「パルチザン」とかと呼ばれたのであった。今日のウクライナでは、大統領ゼレンスキーが、国民にロシア侵略軍への抵抗を呼びかけ、労働者・学生・市民に銃火器の使用を教え、多くの志願兵を募り、国民総動員令まで出している。また銃火器を市民にくばり、火炎瓶をつくって抵抗するようにも呼び掛けた。まさに祖国ウクライナの防衛のために、である。多くの労働者・学生・市民が「祖国防衛」という民族主義的意識にかられ、それに参加している。「解放」の筆者は、まさに、このことをさして「レジスタンス」と規定しているようである。だが、それはゼレンスキーが呼びかけた抵抗闘争を無手勝流的に賛美するものでしかない。この論文ではゼレンスキーが「国民総動員令を下して十八歳から六十歳までの男性すべての出国を禁じ戦闘に動員しつつある。」という紹介はあるが、それを無批判的に紹介しているにすぎない。ブルジョア・ジャーナリズムが伝える「ウクライナの抵抗」をこの筆者はそのまま「レジスタンス」として賛美しているのである。
 だが、考えても見よ。ロシア軍の侵略に直面して、米欧諸国に軍事介入を求めたゼレンスキーは、それが実現されないと見るや、みずからの政権を維持するために、ウクライナの民衆を〝捨て石〟として政治的に利用しようとしているのではないのか。そしてさらに、プーチンウクライナ周辺に大軍を配備し集結させて以降、「外交努力」を大仰に宣伝しながらも、「NATOを東方に拡大するな(ウクライナNATOに組み込むな)」というプーチンの要求をにべもなく拒否し、むしろ彼を挑発し戦争を煽り続けてきた米・欧の権力者どもが、特殊的に訓練された多数の要員を密かに送り込み民衆を先導していることは容易に推測されるところではないか。(いま、ウクライナに乗り込みつつある「義勇兵」にも多くの特殊要員が含まれていることも容易に推察しうる。)        

 いまや東西両帝国主義の角逐の修羅場と化したウクライナで、ウクライナの民衆は、西側帝国主義のロシア攻撃の生け贄として利用されつつあるといわなければならない。この悲劇は、ウクライナの民衆がロシアの侵略に反対して闘うと同時に、西側帝国主義に追随し、そのロシア包囲網の最前線に自国を位置づけ、まさにそのことによってウクライナを今日の危機に追い込んだウクライナブルジョアジーのゼレンスキー政権の犯罪性をも自覚し、ロシアそして全世界のプロレタリアートと連帯してインターナショナルな反戦の闘いに立ちあがることによってしか、打開されないのである。
ウクライナ人民のおかれたこの痛苦な現実に、「革マル派」現指導部は目を向けようとはしないのである。
 しかも驚くべきことに、この筆者=「革マル派」現指導部は、ウクライナの労働者・人民に「ゼネストを敢行せよ」と号令をかけている。なんとウクライナの労働者・人民の現実からかけ離れているのだろうか。
いや、そもそも、彼らの言う「ゼネスト」とは、誰の誰に対する闘いなのか。
ロシア軍侵略のもとで、ウクライナの経済は麻痺状態にあり、ウクライナ人民は極端な生活苦と命の危険にさらされている。ライフラインそのものが崩壊の瀬戸際なのだ。さらにロシア軍はミサイルによるウクライナ諸都市への攻撃をも拡大し、それらを壊滅させつつある。多くの労働者・市民は住居・職場から避難し、企業活動をしているところなどほとんどない。インフラで働く労働者、原発などを管理運転している労働者、消防活動をしている労働者、医療労働者など、いま活動しているのは、残されている労働者・市民の命をつなぐために最低必要な労働者である。「ゼネストをせよ」だと?「革マル派」現指導部は、一体どういう神経をしているのだろうか。
 いや、そもそも、それは誰に対する闘いなのか。ロシア侵略軍に対する闘いなのか。文脈からすればそうであろう。だが、それではプーチンが喜ぶだけではないのか。(仮に、ゼレンスキー政権に対する闘いとしてはどうか。今日、ウクライナの民衆・労働者階級は、なおゼレンスキー政権をみずからの〝守護者〟のように意識しているというのが、――まさに悲劇的な――現実ではないか。〝ゼネストでゼレンスキー政権をたおせ〟などと叫んでもおよそ絵空事でしかないのである。)
いや、「解放」の執筆者は、「ゼネスト」など現実的には考えてはいないのである。あるのは、ただただ〝危機〟を叫び立て、常に〝革命〟的で威勢のよいことを言っていなければ、組織もおのれの地位も崩れてしまう、という事情だけである。彼らの文章が、ますますもって支離滅裂となっているのはそのためなのだ。

 

プーチン=「小スターリン」のでっちあげ

 

 この論文の筆者は、プーチンとその側近が元KGB官僚、軍人、治安機関員であったことをさかんに強調し、その過去の所業を書きたて、プーチンを「小スターリン」と称し、「スターリニスト・プーチン」の像をつくり上げている。
 それは「ウクライナをロシアに併呑しようとするプーチンを突き動かしているもの」として、書かれている次の文章からも明らかである。――「現在のロシアは――後で触れるように――FBS強権型支配体制のもとでの歪んだ国家資本主義のゆえに、擬似資本主義というしかない経済的破局の危機にさらされている」と。
ここにいう「擬似資本主義」は、「解放」第2700号(二〇二二年一月一日付)において、手稲論文の筆者が習近平中国の経済構造を規定したものであった。それは、「中国=ネオ・スターリン主義」という規定の破産を隠蔽するためであった。
 彼らは、プーチンの犯罪性をスターリン(主義)と結びつけるために、あえて同様の規定をロシアの政治経済構造にも与えたのである!それはまさに、プーチンを「小スターリン」にしたてあげ、それを断罪することで、おのれがなお「反スターリン主義」の立場を維持しているかのように装うためでしかない。
 だが、言うまでもなくプーチンスターリン主義者すなわち「一国社会主義」論を護持するものではない。そんなものは、とっくの昔に捨て去ったロシア民族主義者であると同時に、みずからが先頭にたって形成してきたロシア国家資本主義の頭目として、まさに現ロシアの政治経済的行き詰まりを、ソ連邦崩壊以後に旧ソ連邦領域にその勢力圏を拡大した米欧の帝国主義諸国からその一部を奪取しようとして――すなわち勢力圏の「再分割」をめざして――、ウクライナへの軍事的侵略にはしったのである。その国家は、まさに帝国主義国家(スターリン主義国家から転化したそれ)なのである。「ロシア、ベラルーシウクライナは一体」というプーチンの主張は、かつて日本帝国主義がうちだした「大東亜共栄圏」構想、ナチスドイツの「血と土」と同質なのである。
 この論文の書き手=「革マル派」指導部はなぜプーチンをスターリニストにでっち上げなければならないのか。それは、彼らが〈反帝・反スターリン主義〉という世界革命戦略そのものを、スターリン主義者(党)あるいはスターリニスト国家という外的=物質的な打倒対象がなければ成り立たないと考えているからである。彼らは「反スターリン主義」の立場をとっくの昔に放擲しているのである。

 

西側帝国主義の第五列に転落した「革マル派


 いや、それでもまだ「革マル派」現指導部にたいしては、美化にすぎるというべきであろう。彼らは、プーチンを「小スターリン」と呼ぼうが、「現代のヒトラー」と呼ぼうが、何も差しさわりを感じないまでに変質しているからである。中国の習近平指導部を「ネオ・スターリニスト」と規定する場合も同じである。その基底に浮かび上がるのは、革命的マルクス主義者としての思想的営為を放擲して久しい彼らが、歴史の荒波にもまれるごとに〝脱色〞を重ね、今日ではブルジョワ的な「自由と民主主義」の理念に、プロレタリア・インターナショナリズムとは無縁な民族主義的意識に回帰している、という驚くべき事態である。彼らは、その思想的質からしても、プーチンのロシアをかつてのソ連邦の悪と結びつけてダブル・イメージしている西側帝国主義者の第五列に転落した、というべきである!
 「革マル派」の下部構成員、戦闘的学生のみなさん、この論文の書き手をはじめ「革マル派」現指導部には、いま展開されている東西両帝国主義の激突という事態をつかみとり、この二一世紀の悲劇的現実を突破する指針を解明することなど、到底できはしないのだ。
 ロシア帝国主義の侵略に抗して闘うウクライナの労働者・人民の現実から遊離し、自己の観念的世界から、「戦争を革命へ」などと叫ぶ、「革マル派」官僚を打倒し、わが探究派とともに闘おう。
 全世界の労働者は国際的に団結して、ウクライナ侵略戦争弾劾!東西の帝国主義による勢力圏再分割戦反対!の革命的反戦闘争を推し進めよう!
         (2022.3.4 岳川 文久