ここにつらぬかれているもの

 JR総連元役員の四茂野修は次のように書いた。

 「事故の起きた原因を究明し、再び同じ事故を起こさない働き方を、労働者が自らの手で追究すること」、「そこには、自然と人間との物質代謝を媒介する人間労働を、資本の命令という枠組みから解き放ち、自らつくりだす意識的な活動へ転換するという大きな夢が孕まれている」(四茂野修『評伝・松崎明』新時代社、二〇二〇年刊、三七四頁)、と。


 この考察には、当局者によって、事故が起きた原因を、列車を運転した自分の精神の弛みにされることへの乗務労働者の憤怒と苦悩、これへの思いがない。再び同じ事故を起こさない働き方を、労働者が自らの手で追究したとしても、そのような働き方はないのである。事故の起きた原因は過密ダイヤそのものにあるからである。過密ダイヤを順守して運転することは資本の命令であり資本の意志である。乗務員たるおのれは、この資本の意志をおのれの意志とすることなしには、運転という労働を遂行することはできないのである。だが、それは、乗客の命を危うくすることと隣り合わせなのである。
 これは、自分の疎外そのものである。この疎外からのおのれの脱却は、自分をこの疎外に追いこんでいる物質的諸関係そのものをその根底から転覆することを自分が意志することによってのみなしうる。これは、まだ、この物質的諸関係の物質的転覆そのものではない。だが、この転覆をおのれが意志することが、すなわち、これまでのおのれを、それを意志するおのれへと変革することが、そして、仲間の労働者といっしょにこの自己変革をかちとり団結することが、物質的諸関係の物質的転覆の主体的根拠をなすのであり組織的根拠をなすのである。仲間との連帯のこの獲得が、おのれの苦悩の内面的脱却をなすのである。
 自然と人間との物質代謝を媒介する人間労働を、資本の命令という枠組みから解き放ち、自らつくりだす意識的な活動へ転換する、ということは、将来において実現すべき大きな夢なのではない。そうであってはならないのである。それは、資本の命令をみずからのものとして労働することを強制され苦悩する自分自身の内にふつふつと湧きあがらせ燃えあがらせるおのれの意志でなければならないのであり、それは、おのれのおいてある物質的諸関係をその根底から転覆するという意志でなければならないのである。
 列車を運転する労働者のこのような苦悩と自己脱皮を何ら考察していないのが、四茂野修なのである。
 このようなものではないとはいえ、われわれもまた、時として、職場の労働者をプロレタリア的に変革することの困難さに敗けて、これと似たような考え方におちいることがある。相手の労働者に、資本への怒りをわきたたせようとして、である。そのために、資本への自分の怒りを、相手の労働者につたえようとして、である。
 左翼フラクションのメンバーを変革するためにそのメンバーと読み合わせる文書に次のように書かれている箇所があった。
 「われわれはモノじゃないぞ。」
 これは、「われわれはモノになっている。われわれは、モノであることから脱却するぞ、そうであることを廃絶するぞ。」ではない。
 ここにつらぬかれている哲学は、自己否定の哲学ではない。自己肯定の哲学である。ここにつらぬかれている立場は、現状を否定する立場ではない。現状を肯定することを土台として、自分にむかってくるものに反抗する立場である。
 「われわれはモノじゃないぞ」といえば、われわれはモノではないのだから、現にあるわれわれのままで、モノではないわれわれをモノとしてあつかう資本に反抗すればいい、反抗するのだ、ということになってしまうのである。これでは、われわれはモノであるにもかかわらず、モノであるということを自覚しえていなかった自己を変革するぞ、自己脱皮するぞ、という決意はいらないことになってしまうのである。相手の左翼フラクションのメンバーにこのような決意をうながす、ということが欠如してしまうのである。
 もしも、「われわれはモノじゃないぞ。われわれが資本によってモノあつかいされるのは、われわれの労働力が商品化されているからだ。労働力の商品化を廃絶しなければならない」、というように説いていくとするならば、これは、相手にたいして、モノじゃない自分がモノあつかいされるゆえんを経済学的に説明するものとなってしまうのであり、これまでの自分を肯定したままで、この説明がわかって決起する、ということをうながす、というものとなってしまうのである。
 ここでは、相手の左翼フラクションのメンバーに内面的な自己格闘をうながすことが欠如していることが問題なのである。
 共産主義運動は現状を否定する運動である。自己がいま現にある自己を否定する運動である。現にいまこういう存在である自己を自己が否定する運動である。
       (2022年2月17日     松代秀樹)