われわれは内部思想闘争をどのように展開すべきなのか  第5回  組織成員についてのイメージを壊しつくりかえていかなければならない

   4 組織成員についてのイメージを壊しつくりかえていかなければならない

 

 組織指導者は、偏向や誤謬をおかした組織成員から、彼が諸活動の現実をどのように認識しているのかということや、彼が何をどう考えているのかということを、なお聞きだしえていないことに気づくためには、自分自身が彼について抱いていた従来のイメージを壊しつくりかえることを意志しなければならない。この意志が弱いばあいに、いま・この場で偏向や誤謬をおかした組織成員を、彼について自己が従来から抱いていたイメージにもとづいておしはかり、これをもって彼の分析としてしまう、ということがあったからである。
 ここに言う組織成員にかんするイメージは、或る人物のうわさ話を聞いてその人の表情を思いうかべるとか、音楽を聴くと風景が浮かんでくるとかというような、具象的なものの表象とは異なる。それは、理論的=論理的なイメージというべきものである。

 

 或る組織成員の傾向にかんして存在論主義的イメージ主義というように特徴づけたとしよう。このばあいに、彼がもつイメージとは、何らかのものについての具象的なイメージではない。それは、一つの原理的なものを設定し、この原理からの存在論的展開を壮大なイメージとして描く、というようなものである。これは、理論的=論理的イメージというべきものである。
 これと同様に、われわれが組織成員についてのイメージを浮かべる、と言うばあいには、彼の組織活動や思想性・組織性についてのそれであり、彼がこれまでにおかした数々の失敗やきわめて特徴的な歪みのある活動の仕方などがイメージとして浮かんでくる、というようなものである。これは、失敗したときの彼の顔が浮かぶというようなものでもなければ、彼の失敗にかんする言語的に表現された文章が浮かぶというようなものでもない。そういうものではなく、彼の失敗や活動の仕方にかんしての・おのれの内に蓄積された概念的把握が一挙にまるごとのものとして――内言語でもってあらわされることもなく――浮かぶ、というようなものであり、これを他の同志に話すときには、丸めた毛糸をほぐしていくように言語的に表現していく、となるわけである。

 われわれは、対象的現実を分析したり、この現実を変革するためのわれわれの実践の指針を構想したりするときには、瞬時に、おのれの内に蓄積された概念的把握をもって考え、これをつみかさねるかたちで推論していくのではないか、と私はおもうのである。このときにわれわれのうちに浮かぶものを、理論的=論理的なイメージというように私は表現したのである。


 われわれは、これまで、感性が豊かではなくなかなか具象的なイメージがわかない組織成員にたいして、イメージを浮かべる訓練をするように促してきた。私もまた、そのように促されたひとりであった。
 けれども、私がいまここに言う理論的=論理的イメージにかんしては、論議されてこなかった。私は、いろいろと考えてきて、われわれは、ともにたたかってきている同志と組織的に論議するときには、彼についておのれが抱いている理論的=論理的なイメージを、いま場所的に、壊しつくりかえていくことが重要である、と考えるのである。
 組織成員についておのれが抱いている理論的=論理的イメージは、文章として言語的に対象化されたものとは異なるがゆえに、おのれの内で固定的な固着化したものになっていることを自覚するのは大変なことなのである。


 これを壊しつくりかえていくためには、われわれはあくまでも、行為的現在において、彼の諸活動と彼自身を、その物質的基礎をなす組織的現実および階級情勢との関係において、場所的に分析することが肝要なのである。
       (2020年10月27日   松代秀樹)