われわれは内部思想闘争をどのように展開すべきなのか 第1回            「古モンゴロイド」をめぐる論議の不思議

 われわれは内部思想闘争をどのように展開すべきなのか


 一 「古モンゴロイド」をめぐる論議の不思議


  批判はなされていた!

 

 同志黒田寛一が『実践と場所』全三巻のいろいろな箇所において、古モンゴロイドといった人類の形態を想定した展開、すなわち、約三十万年前に日本列島に住みついた古モンゴロイドが今日の日本人の祖先となった、という論述をおこない、これに反する研究を紹介している本を読んでも、彼のこのイメージが変わらなかった、ということについて、私は別の名前で、二年余り前に論じた(『現代の超克』)。これを組織論議におきかえたばあいには、きわめて大きな問題となる、と私は考えたからである。
 だが、事態はそれにとどまるものではなかった。
 私は、その論述を本として出版したあとに、同志黒田の古モンゴロイド想定説にたいする批判がすでに出ている、ということを、探究派の同志たちから教えられた。
 そうすると、『実践と場所』第三巻の末尾にある「附記」は、その批判への同志黒田の返答をなす、ということになる。
 その「附記」は次のものである。
 「三人種への分化を約十四万年前としたのであるが、瀬名英明・太田成男著『ミトコンドリアと生きる』(角川書店)の研究によれば間違いであることが確認されうる。こうした新しい研究から学ぶことは今後の私の課題である。」(第三巻、八一三頁)
 同志黒田のこの反省は、きわめてわかりにくいものである。自分にたいしてどのような批判がなされたのかの紹介も、その批判に自分がどう答えるのかの展開もないからである。
 しかも、この「附記」そのものの内容が意味不明なのである。ネグロイド(黒人)・モンゴロイド黄色人種)・コーカソイド(白人)という三人種への分化を約十四万年前としたのであるならば、約三十万年前に日本列島に住みついた古モンゴロイドとはいったい何者なのか、ということになるのである。古モンゴロイドが日本列島で三人種に分化したのか、ということになってしまうのである。また、そうであるならば、古モンゴロイドは日本人の祖先であるばかりではなく、現存する全人類の祖先である、ということになってしまうのである。
 だから、「附記」の反省は、これを本文での展開との関係においてとらえかえすならば、論理的に成り立たないものなのである。
 このことはともかくとして、古モンゴロイド想定説への批判は、「唯圓」という匿名の人物が、こぶし文庫の本に挟まれている「場」に投稿したものであった。「場」の第16号(二〇〇〇年一〇月一六日刊)に掲載されている「『実践と場所』第一巻について」という表題の文章が、それである。
 唯圓は次のように書いている。
 「五五六頁「ヤポネシアに約三〇万年前から住み着いた古モンゴロイドが…縄紋…」および五五八頁「ネアンデルタール人が…クロマニヨン人に発達」というのは、一昔前の定説だがすでに否定されていることをご存じか。縄文人弥生人などの旧新モンゴロイドを含む現生人類(クロマニヨン人=新人)のmt-DNAの面での共通祖先は一五万年前のアフリカに発し、一〇万年前、各地に拡散、ネアンデルタール人旧人)が最終氷河期の厳寒を乗り越えられずに絶滅した後に入れ替わった、つまり日本列島に三〇万年前にヒトがいたとしてもそれは断絶種で縄文人の祖先ではない、ということ。「…クロマニヨン人に発達」のようないわば連続的発展観ともいうべき現象論は、KKが予言したような、初期の柴谷篤弘(『現代唯物論の探究』三八一頁)を先頭とする実体論的遺伝学の勃興によって突破されています。予言者にその的中の報告をお返しする、という目明きなら誰でも可能な責務を果たす者が近辺に誰もいない、ことこそが「不運」(二〇一頁)というべきか。いやいや、「おのれの内に潜在する『仏性』」(二一四頁)をば偉大な存在のうちに実在化してしまい自ら眠り込まされてしまう、つまり自分の頭では何も考えない、ようになってしまう、という宗教的自己疎外、この本書の目玉の実例を見てとるべきなのでしょうか。」
 唯圓は、『実践と場所』第二巻についても同様の批判を、「場」第18号に寄せているのであるが、それを引用するまでもないであろう。
 唯圓のこの批判は正しい。この批判が正しい、ということは、『ミトコンドリアと生きる』という本一冊を読めば、たちどころにわかる。
 それにもかかわらず、同志黒田が、三十万年前の古モンゴロイドを想定する自説を否定しなかったばかりではなく、唯圓の批判の内容も、読んだ本の内容も紹介しなかったことは、私には不思議なのである。
 この古モンゴロイドをめぐる論議の推移の不思議さは、これに尽きない。唯圓のこの文章の後半には少々いやったらしいものが露骨ににじみだしていることに激昂したのか、組織指導者とおぼしき人物が、黒田への批判者は何が何でもやっつける、という一心で、唯圓への反論を書いているからである。このような人物を、黒田のエピゴーネンとか、黒田のちょうちん持ちとかと言ってしまうと、同志黒田を汚すことになってしまう。このような人物は、黒田を神輿に乗せてかつぐ人物、神輿かつぎというべきであろう。

 

  黒田への批判者はやっつけろ、という焦燥感と気負い

 

 「場」第17号(二〇〇一年一月二〇日刊)に、「東京 会社員 原田耕一 58歳」を名のる人物の「『場』16号の唯圓氏の投稿に応えて」という投稿が載っている。この人物は、その文体と内容からして、いまは神官となっている・革マル派の指導的メンバーである、と推断しうる。
 原田は言う。
 「唯圓氏はミトコンドリア・イヴ説が今厳しい試練にあることをご存じか。mtDNAから分岐年代を算出する分子時計法は、「すべての動物で分子変化速度は一定」なる仮説を大前提にしている。だがこの仮説は古生物学の示す答と悉く矛盾している。根本が動揺し始めたのである。この事態はそもそも諸学の協同なしに人類史研究の前進はないことを示している。ところが唯圓氏は、颯爽と登場した新説を鵜呑みにしこれを振りかざして「黒田は旧い」と息巻くのだ。黒田氏が新旧諸説に論及する時常に「とされる」と表現するその意味さえ無視して。知識の洪水に溺れた「答人間」の浅はかと言わずして何と言うべきか!」
 いさましい。だが、論理と中身は空疎である。いや、ここにつらぬかれているのは、論点をすりかえて相手をたたく政治主義である。
 唯圓は、ミトコンドリア・イヴ説に依拠して、約三十万年まえの古モンゴロイドという人類の形態が日本人の祖先であるとする同志黒田の説を批判しているわけである。この唯圓を批判するためには、前者が誤謬であり、後者が正しい、ということを明らかにしなければならない。ところが、原田は、このような理論的=論理的作業を何らおこなっていないのである。
 もう何十年も前から、現生人類(ホモサピエンス)がどのようにうみだされたのかにかんして、二つの説が対立してきた。その一つは、世界の各地で同時多発的に原人からホモサピエンスがうみだされた、とする説である。もう一つは、アフリカで原人からホモサピエンスがうみだされ、その一部がアフリカを出て(第二の出アフリカ)東西に分かれながら世界各地にひろがった、とする説である。人体の化石の分析をとおして後者の説が有力になりつつあったのであるが、現代人のミトコンドリアのDNAの変異の研究がすすむことによって、現代のもろもろの人びとの祖先は一つに収斂される、ということが明らかにされたのである。ここに、後者の説は、実体論的に基礎づけられたのである。このことが、現代人はひとりのアフリカ女性から生まれた、というように象徴的に言い表された。これが、ミトコンドリア・イヴ説である。このような内容を、ミトコンドリア・イヴ説の実体的内実面とよぼう。
 さらにチンパンジーなどをも含めてミトコンドリアのDNAの変異の研究がすすんで、「人類および類人猿のミトコンドリアDNAの塩基置換速度は一定である」という仮説のもとに、現代人の祖先が一つに収斂される時期は、約十四万年前である、ということが、一九九〇年代に明らかにされたのである。これを、ミトコンドリア・イヴ説の年代測定面とよぼう。(新説は、この年代測定値にかんしてだけであって、ホモサピエンスのアフリカ起源説は、ずうーと以前からある。)
 原田が、仮説が成立しない、と言っているのは、この後者の側面たる年代測定の仕方に批判を加えただけのものであって、その基礎となる実体的内実面にかんしては、言及さえも、いや主張の紹介さえもしていないのである。
 このような批判は、まじめな学問的なものではなく、何か因縁をつけて相手をたたく、という政治主義的なものなのである。
 しかも、その年代測定面にかんしてからが、原田の批判は噴飯ものである。私は知らないのであるが、たとえ古生物学において原田の言うような研究があるのだとしても、そうである。人類の発生と進化の年代測定にかかわるミトコンドリアDNAの変異の研究は、人類と類人猿にかんするものであり、せいぜい千数百万年さかのぼるにすぎない。その研究において前提とされた分子変化の速度が、何億年も前に生存した古生物に妥当するはずがない。それは理論の適用範囲を超えるのである。太陽からの光線や紫外線やまた宇宙線の状況も違えば、大気や海の組成も違うのであり、生物個体やその細胞内のDNAの状況も、その生物が陸上で生活していたのか海で生存していたのかも、異なるのである。
 原田の主張は、理論とその物質的基礎、理論とその適用範囲、或る規定とそれが妥当する物質的現実ということを無視した非唯物論なのである。
 さらには、原田は、黒田の文章には「とされる」がくっついているではないか、と言う。たしかに、学者の見解や研究を紹介するときには、同志黒田はその文章の末尾を「とされる」というようにしめくくっている。だが、約三十万年前に日本列島に住みついた古モンゴロイドが日本人となった、というように論じるときには、同志黒田は、「とされる」という語を付加してはいないのである。これは、同志黒田の独自的見解だからである。このようなことを主張している学者はいないからである。ホモサピエンスの世界各地での同時多発説を主張する学者といえども、約三十万年前に生存していたのは原人である、と認識しているのであって、この時期の人類の形態を、ホモサピエンスという種のなかの一人種をあらわす「古モンゴロイド」とよぶことはないからである。
 原田は、話をすりかえたのである。唯圓は同志黒田の独自的見解を批判したのであったが、原田は、これを、黒田による学者たちの諸説の紹介の問題にすりかえたのである。原田は、徹頭徹尾、政治主義なのである。
 こうした諸問題の根源は、原田が唯物論の立場にたっていないことにある。問題になっているのは、現代の人類がどのようにしてうみだされたのかということであり、人類の進化というこの過去的現実をわれわれが分析することにある。だが、原田は、この過去的現実を決して自分の頭で分析しないのである。分析することを避けるのである。彼は、この現実の分析を、学者たちの諸説の紹介にすりかえるのである。
 原田は、唯圓にたいして、「知識の洪水に溺れた」と言う。とんでもない。唯圓の文章展開から推察するに、彼はたいして知識をもってはいない。わずかの知識を自分で再構成して、現代の人類の祖先はアフリカで生まれたのだ、というように、過去的現実を自分の頭で分析しているだけのことである。
 われわれは、過去的現実を直接に見ることはできない。人体の化石の研究や現代のもろもろの人びとのミトコンドリアのDNAの研究というような、学者たちの研究の諸成果を批判的に検討し再構成することをとおして、われわれは、過去的現実を、こうであった、というように概念的に把握するのである。われわれは、学者たちの研究の諸成果の批判的検討というかたちにおいて、現代の人びとからその起源へと、下向的に分析し=歴史的に反省するのである。われわれは、現代の人びとの起源を明らかにするという問題意識をもって、人類はこれに先行する動物からうみだされ・かつ人類として進化してきたのだ、というわれわれがすでに獲得している存在論的把握にもとづいて・この進化の物質的過程を分析する、というように分析対象を措定して、この物質的対象を分析するのである。
 われわれは、学者たちの研究の諸成果を知識として自分のものとするのではないのである。「知識の洪水」などというのは、知識の平面でしか物事を考えない者のたわごとである。黒田は文章の末尾に「とされる」をくっつけているのだ、などと誇らしげに言うのは、他者が分析した内容をなぞることをもって自己の論文としてきた者の、自己意識の表出である。こうした言辞は、われわれがいま直面している現実であれ、いまはもう過去となった現実であれ、自分の頭で分析することを意志しない者の他者非難である。
 このような人物が組織指導者として組織を指導すると大変なことになるのである。

 

  自分たちを批判した組織成員の排斥

 

 原田を名のる人物のような組織指導者たちは、同志黒田寛一が、限られた指導的メンバーのなかのさらにごく限られたメンバーとしか会えない身体的状況になって以降には、同志黒田の意を推察し、自分の汲んだ同志黒田の意を組織内に貫徹することを、組織的主体性であると考え、そのような組織指導をおこなってきた。
 組織指導部が同志黒田の出した方針を指導部のものとして組織会議で提起したときに、別の組織会議で、同志黒田が出したものであるとは知らずにその方針に反対した組織成員がいた、という報告を受けた指導的メンバーは、「あいつには組織的感覚がない。組織性がない。この方針は同志黒田が出したことはすぐにわかることじゃないか。そういうことも感覚せずに、この方針に反対するとは何だ」、と吐き捨てるようにつぶやいたほどであった。
 このような組織指導は、指導的メンバーたちが、同志黒田の意を推察しそれに従う、というかたちでおのれを律し、自分たちの出した方針に反対したり自分たちを批判したりする組織成員を、同志黒田の名において断罪し排斥するものである。
 このばあいに、指導的メンバーたちは、同志黒田や自分たちを批判した組織成員にたいして、そのメンバーの何らかの欠陥を見つけ出し・あるいは・こしらえあげ、そこを突く、というかたちでの批判をおこなったのである。そのメンバーの主張をトータルにつかみとり、この全体を、その物質的基礎との関係において考察する、ということを何らおこなわなかったのである。
 指導的メンバーたちは、問題だと自分たちがみなした組織成員にかんしては、彼の組織活動をグロテスクに描きあげた。
 当該の組織成員が遂行した諸活動は、彼の属する単位組織が組織として組織的にとりくんだ組織的闘いの一端を彼が担ったものである。したがって、彼を批判するためには、この組織的闘いの全体と彼の諸活動を、この組織的闘いが展開された場との関係において、われわれは思惟的に再生産しなければならない。このことをわれわれは、「□B〔□のなかにBを書く。シカクノビーと読む。物質的銀実をさす。ここでは組織的闘いの現実をさす〕を思惟的に再生産する」とか「□Bを確定する」とかとよんできた。「確定する」という表現をとったのは、組織的な諸活動はつねにかならず組織が組織として組織的にとりくんだものなのであるからして、諸組織および組織諸成員がどのように組織的に論議し、それぞれのメンバーがどのように活動したのかの全体構造を、組織的に論議してそれぞれのメンバーの認識をつきあわせ組織的に集約するというかたちで、明らかにしなければならなかったからである。
 自分たちを批判したメンバーを同志黒田の名において断罪した指導的メンバーたちは、組織的に遂行された諸活動のこのような組織的な思惟的再生産を決しておこなわなかったのである。
 彼らは、自分たちが批判したい相手である組織成員に不満や反発を抱いている組織成員からだけ事情聴取をおこなったのである。そして、このようにして聞きだした内容を事実そのものとみなして、これを相手にぶつけて断罪し、そして組織的に普遍化したのである。
 彼らは、相手から、相手が諸活動の現実をどのように認識しているのかを聞こうともしなかっただけではなく、このメンバーに不満や反発をいだいている組織成員を批判している他の組織成員からは事情聴取を、すなわち彼らが自分たちの諸活動の現実をどのように把握しているのかを彼らから聞くための論議を、決しておこなわなかったのである。
 このやり方は、原田が、現生人類がどのようにしてうみだされたのかの歴史的過程を自分自身では何ら分析しようとはしないばかりではなく、この過去的現実には何らの関心をも抱かず、どこからか引っ張りだしてきた古生物学者の研究なるものをもって唯圓を断罪したのと同じである。
 同一人物の、組織的に遂行された諸活動を問題にするさいのやり方と思考法が、学問的課題にかんして問題にするさいのそれとは無関係だ、ということはありえない。むしろ、前者の組織的諸活動を分析する思考法と他者断罪の仕方が、後者の学問的問題にも貫徹された、というべきであろう。
 同志黒田をかついだ自分たちを批判する者を排斥する指導的メンバーたちの根本問題は、彼らが唯物論的立場にたっていないことにある。組織が組織的にとりくんだ組織的闘いの現実そのものには何ら関心をいだかず、自分たちを批判する組織成員に不満や反発をいだいているメンバーたちの言にのみ耳をかたむけ、聞き取ったその内容を事実そのものとして実在化する、というのが彼らなのだからである。
 われわれは、ここから、組織討議にかんする教訓をみちびきださなければならない。
       (2020年10月27日   松代秀樹)