労働者協同組合法の制定の意味

ネオ・ファシズム支配体制の補完

 12.4 労働者協同組合法 与野党による全会一致で成立

 

 「労働者協同組合法」が4日参議院本会議で与野党による全会一致で可決され成立した。この事態を、日本共産党をはじめとして野党や既成労働運動指導部は「営利目的ではない新しい働き方」「「資本家、経営者、労働者」三位一体の働き方」「働く人が自ら出資し、運営に携わる「協同労働」という新しい働き方を実現するもの」「介護、子育て、ごみ収集といった地域の需要にこたえる事業をおこなうことで、多様な雇用機会をつくりだせる」というように、こぞって自画自賛している。
 2008年に最初の超党派議連が発足し、与野党が一体となってこの法案の成立をめざしてきた。いま深まっている新型コロナウイルスの感染拡大にたいする政府の政策的対応によって需要が激減した旅行、外食、サービス産業の資本による労働者の解雇が激増しているなかで、解雇された労働者が今や7万人(コロナによる影響というように政府がみとめている数だけでもこの数なのである。じっさいには、こんなものでは済まない)にのぼる。このことによって政府、資本家にたいする労働者の不満、反発、怒りが高じているがゆえに、これをなんとかおさえこみ解消したい、と政府・支配階級は考えているのである。このゆえに、彼らは、野党・既成労働運動指導部のがわからのこの法案を成立させようとする動きにのっかるかたちでこの法案に賛成したのである。いや法案自体を超党派議員というかたちで提出し可決させたのである。
 
〝労働者が仕事をみずから作り労働者が主体となった新しい働き方〟という欺瞞

 この労働者協同組合は、なによりも、働く者が出資し経営に主体的にかかわることができる非営利の新しい働き方ができるものだ、とおしだされている。「連合」幹部などは「資本家、経営者、労働者」による「三位一体の働き方だ」と称している。しかし、これほどでたらめなことはない。ここでうたわれている労働者協同組合は、存在形態としては、労働者みずからが出資者つまり資本の出し手となり、そうすることによって当該企業の経営にたいしても共同で責任を負わざるをえない形態をとるところの資本制企業にほかならない。「新しい働き方」だ、「協同労働」だ、と称しているのは、それが非営利であるという意味でいえばNPO法人と同一性があるが、営業利益を計上することが違法ではないとされているがゆえにNPO法人とは異なる、ということである。しかも、株式会社ならば株主が出資するのは配当を目的としているからであり、経営方針の策定は株主総会において決議される、だからして財務状況が悪化すれば当然にも倒産となる。これに反して、今回の労働者協同組合という資本制企業は、経営が悪化すれば、出資している労働者が営業利益を計上することができるようになるまでみずから「自主的に」賃金カットをし、低賃金を受け入れないわけにはいかない、となる。これは、結果的なことであるが。
 そもそも、「労働者協同組合においては、労働者は資本家とのあいだでの対立がない、つまり、それは労使対立のない組織であり、労働者が自主的に働くことのできる事業体である」とおしだされているし、既成労働運動指導部はそのようにとらえている。
 こうした労働者協同労働組合を規定する法律を、与野党は、なぜ、今臨時国会であわてて可決・成立させたのか。
 自民、公明両与党は、自分たちの牛耳る政府がコロナ感染の拡大にたいして緊急事態宣言だの営業自粛の要請だのと、あくまでも中小企業に自助努力を強制するというような政策的対応をすることによって、諸商品の需要が消失するという事態を生みだしてきたのである。このことによって中小企業の廃業、倒産、労働者の解雇が一挙に増大したのである。こうして中小企業経営者や労働者が、政府にたいして不満・反発をつのらせ、怒りを抱くようになっている。この憤りが自公の与党に向かうことを恐れているがゆえに、彼ら与党は野党にのっかり、足並みをそろえて、かつ大急ぎで、この法律を成立させたのだ、ということはあきらかである。
 そして他方の野党・既成労働運動指導部は、政府によるこうした政策の実施に規定されて解雇される労働者が一挙的に増えているにもかかわらず、これを労働運動の高揚によってくつがえしていくのではなく、ただただ、この「社会不安」が高じ(労働者人民の苦しみを支配階級は「社会不安」などと呼ぶのである)、「野党は何をやっているのだ」というように怒りの矛先が自分たちにむかうことをおそれているのである。また、今のコロナウイルスの感染拡大による経済危機を、資本家階級による階級的な攻撃とうけとめる感性やイデオロギー的拠点を、彼らはとっくの昔に喪失しているのである。「6年ぶりに内閣不信任案が提出されない国会」という記事がでかでかとのっているではないか。こうなるのは、彼らが、コロナ危機だから、これは国家的な危機であり、それゆえに与野党が一致してこの日本国の危機をのりこえなければいけない、などというように、救国国民運動的なイデオロギーに転落しているからなのである。これは、ネオ・ファシズム支配体制の・反対運動のがわからする補完と言わずしてなんであるのか。

 

 「コモン」の実現?

   ――『人新生の「資本論」』の著者・斎藤によるイデオロギー的補完

 

 そして、いま『人新生の「資本論」』という著作を書きマスコミに頻繁に登場している斎藤幸平という若い学者が、この法案の成立を天までもちあげている。「労使関係を前提にしない、もっと別の働き方があるはずで、それが協同労働だ。必ずしも、労使関係を前提とせず、労働者が自ら出資し、自分たちでルールを定め、何をどう作るかを主体的に決める。株主の意向に振りまわされず労働者の意思を反映していけば働きがいや生活の豊かさにつながるのではないか」(東京新聞12.5付)。こう語るのである。彼が、ただ、勝手な没社会科学的な持論を吹聴しているだけならば、われわれはイデオロギー的な批判をおこなっていけば、さしあたりはよかった。
 しかし、一方では、上に見たように現に労働者たちが、コロナ感染の拡大するなかで、政府の経済政策の実施に規定されてたちゆかなくなった諸企業から解雇され切り捨てられており、他方では、政府は独占資本にたいしては手厚い救済策をおこなっているのである。じっさい、日銀は、国債を無制限に買い入れるとともに、上場投資信託に何兆円も出資し、株式・債券をかいあさっているではないか。東証株価は史上最高値を記録しさえしているではないか。政府は政府系金融機関をつかって独占資本にたいして劣後債という準資本としてあつかわれる資金を注入しているではないか。こうしたなかで、労働者の不満をすこしでもそらすとともに、地方での産業の崩壊――これも政府が諸政策を実施した結果である――をくいとめるために、すなわち地方での後継者不足となっている地場産業の事業を継続するために、労働者にたいして自分で出資し、経営し、働くことを促そうとしているのである。このように、地域振興策の一角にこの労働者協同組合を位置づけ活用することが、彼ら政府・与党の目論見なのである。政府・支配階級による現存支配秩序を安定させるためのこうした画策を、野党および既成労働運動指導部は救国の立場にたって労働者のがわから下支えする役割を果たすことを買って出ているのである。すなわち、労働者に自主的に労働者協同組合企業をたちあげさせて、地域での保育園や介護施設などの事業経営をもっとも低い経費でおこなわせ、そうすることによって労働者階級のがわから、現存支配秩序を補完する、そのような役割を今、現実的に果たすことを、彼らは意図しているのである。これが、この法案の成立と労働者協同組合の設立運動とも呼ぶべき与野党一体の策動の階級的意味である。このようなものを斎藤は、「労働者が経営主体となることによって資本主義にしばられず自主的に働くことができる。労働のあり方や生産の仕方を根本から変える可能性がある」などと賛美するのである。これは、政府独占資本家どもの策動を下から支えることを、イデオロギー的に基礎づけるものではないのか。これは、労働者階級のたたかいにたいして、労働者たちを内部から武装解除するという犯罪的な役割をはたすものなのである。これをわれわれは決して許すことはできない。
 斎藤は『人新生の「資本論」』において、マルクスは「脱成長のコミュニズム」を、『資本論』執筆以降に共産主義思想を大転換して構想するにいたった、これこそが、「コモン」=社会的インフラなどの市民よる共同管理を実現するものであり、これが生産手段の市民による共同所有の形態なのだ、と叫びたてたのである。これが「市場原理主義のように、あらゆるものを商品化するのでもなく、かといって、ソ連社会主義のようにあらゆるものの国有化をめざすのでもない、第三の道」としてのコミュニズムだ、などと彼はほざく。この「コモンの領域」を拡大していくことが「資本主義の超克」となる、などと彼は吹聴している。これを、自分が初めて発見した「マルクスが晩期に到達したコミュニズム思想の正しい理解なのである」などと彼はいっているのだ。聞いたこちらが赤面し、マルクスがくしゃみすらできない、というものである。
 日本の経済社会は資本制的商品生産が普遍的におこなわれ、独占資本家階級がみずからの階級的特殊利害を「普遍的な共同的利害」として全社会に妥当させ・この幻想的な共同性を物質化して、国家をつくりあげている。自民党といったブルジョア保守政党をみずからの政治的代弁者として独占資本家階級がつくりあげている・その政府は、今回の労働者協同組合法を与野党で成立させるというように、被支配階級の利害を代弁していると見せかけている野党の一部または全部をもイデオロギー的に懐柔しつつ巻き込み、こうして全国民的な利害を有している法律だ、という装いをとりながら、この法律の制定と制度をつくりだしたのである。しかし、実のところ、これはブルジョア支配階級的利害の貫徹以外の何ものでもない。この法律がそのような本質のものであるということはこれまで論じてきたことからしてあきらかではないか。そして、今、政府は独占資本救済のための国家独占資本主義的な経済諸政策を策定し物質化している。こうして、日本の労働者たちが解雇されても、これも自由な契約関係にもとづくものであり、労働市場における需給関係にもとづく合法のものとしてみなされ、まさしく彼らはどしどしと解雇され、自殺に追い込まれているのである。このように政府・独占資本によって全社会的に合法的・制度的に自由にやられている犯罪、これをくつがえすためにこそ、労働者・人民は団結してたたかわなければならない。
 労働者は、生産過程において、賃労働として資本によって搾取され、労働市場において、自由な契約関係のもとで、労働力商品として貨幣商品と交換される。この資本制生産関係を転覆し、労働者階級がみずからを解放するためには、ブルジョア階級国家を打倒し、プロレタリアート独裁権力を樹立しなければならない。この結節点を消し去り、ただただ、協同組合企業の量的な拡大によって労働者の自主的な社会がもたらされるかのような幻想を振りまくのが、斎藤なのである。資本制生産関係の根本的変革をめざす闘い、すなわち資本家階級による階級的な支配にたいして労働者階級がみずからを階級として組織した力でもって反撃していく、このような闘いをみずから実践することをまったく考えないのが、斎藤なのである。これとは無縁な地平で、すなわち、こうした政治的上部構造や政治経済構造をなんら変革することなく、なんら手を触れることもないままに、ただただ、地方や地域で解雇されズタズタにされている労働者にたいして、自ら出資し、低賃金でしかないが自主的に事業体をつくっていけ、と叫ぶそのスローガンが、「新しいコモン」なのである。これがマルクスのめざしたコミュニズムの具体的なカタチだ、などとほざくのが、斎藤なのである。いま、でたらめきわまりない・このようなマルクス主義の改竄をおこなって、現実的にも労働者たちの闘いのなかに、階級闘争の自粛のススメとでもいうべきイデオロギーをもちこみ、労働者協同組合は「コモン」のひとつだ、と宣伝し始めているがゆえに、これをわれわれは決して許すわけにはいかない。今こそ、「コモンの拡大」という斎藤のイデオロギー的支援をもうけつつ、〝協同組合の量的拡大〟をほそぼそとおこなうことに逃げ込もうとしている既成労働運動指導部をのりこえ、労働者階級・人民は団結してたたかおう。菅政権は労働者たちをコロナ感染の真っただ中にさらしつづけている。そして、「経済の重視」の名のもとに独占資本の救済にひた走っている。この菅政権を許さず、団結してたたかおう。
        2020.12.5 妙満寺 行男