🍙1日の飯代より高い本を読んだ!

 失職中の私は、ふと立ち寄った書店で、山積みになっている『人新世の「資本論」』というタイトルの新書を見つけた。ここ数年、『資本論』がブームになっているのは知っていたが、「人新世」とは何だ? 「ひとしんせい」と読むらしいが、聞いたことがない。カバーには、白井聡坂本龍一をはじめ4人の先生たちの絶賛評が載っていた。坂本氏はいう。「気候危機をとめ、生活を豊かにし余暇を増やし、格差もなくなる、そんな社会が可能だとしたら」、と。いわゆるワーキングプアの私は、わたしたち労働者の暮らしが良くなる解決策が書かれた本なのか、そうかと、1122円の本を買ってしまった。
 私は、本を読むときは、「はじめに」と「終わりに」から読むようにしている。その次に、目次をみて、興味のあるところを読む。

 

 「はじめに」を読んだ。
 「人新世」とは、地質学者のパウル・クルッツェンが名付け親で、「人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代」という意味だそうだ。「人新世」の環境危機(人類の経済活動が地球を破壊する)によって、「気候変動が急激に進んでも、超富裕層は、これまでどおりの放埓な生活を続けることができるかもしれない。しかし、私たち庶民(※労働者とはいわない)のほとんどは、これまでの暮らしを失い、どう生き延びるのかを必死でさぐることになる」、と著者の斎藤幸平氏は、〝庶民〟に警鐘を鳴らし、「市民の一人ひとりが当事者として立ち上が」るべきだ、と〝庶民〟を扇動する。これは、全く、IPCCのスポークスマンと化して、CO2による地球温暖化を煽っているだけである。
 それにしても、この学者先生は、〝労働者〟という言葉を使わないんだなぁ、タイトルに『資本論』がついているのに……。
 さて、『資本論』は、どこで登場するのか? と思うと、この行動の「正しい方向を突き止めるためには、気候危機の原因にまでさかのぼる必要がある」、と斎藤氏はいう。そして、その原因の鍵を握るのが資本主義だ、というのである。そう、その「資本主義について考え抜いた思想家がカール・マルクスである」、と彼は熱く語る。「150年ほど眠っていたマルクスの思想のまったく新しい面を「発掘」し、展開するつもりだ」、と斎藤氏は自信たっぷりにいう。しかしながら、地球の温暖化は、資本主義が産業資本主義段階に突入する前からはじまっているのだ、という事実を彼は知らないようである。

 

 「おわりに」を読んだ。
 「マルクスで脱成長なんて正気か――」、で文章ははじまる。なるほど、斎藤氏は、気候危機をのりきるためには、「脱成長」が必要であり、そのためにマルクスを提唱者として持ち上げているのか、とわかった。しかも、彼は、批判の矢が飛んでくるのをもろともせずに、「……晩年のマルクスの到達点が脱成長コミュニズムであり、それこそが『人新世』の危機を乗り越えるための最善の道だと確信した」、と自信たっぷりである。しかも、「脱成長コミュニズム」が、「持続可能で公正な社会」を実現するための唯一の道である、とまでいうのだ。つづけて、「資本主義が引き起こしている問題」の「解決の道を切り拓くには、気候変動の原因である資本主義そのものを徹底的に批判する必要がある」、と強引に結論付けしている。
 しかし、次に、彼は、「資本主義によって解体されてしまった<コモン>を再建する脱成長コミュニズムの方が、より人間的で、潤沢な暮らしを可能にしてくれるはずだ」、と「脱成長コミュニズムの中心環は、<コモン>を再建することだ」、といっている。<コモン>とはなにか? 「再建する」、ということは、以前はあったものだ、ということだが、いったいそれはどのようなものなのか? マルクスとどう関係するのか? そんな私の疑問をよそに、「3.5%」という数字を持ち出し、この数の人々が非暴力で立ち上がると、社会が大きく変わる、と斎藤氏は夢をみている。「アクション」をすすめ、ワーカーズ・コーポ、環境NGO、などを例に挙げ、読者を、なんかできそうな気持にさせる。おっと、労働組合もあった。しかし、この例示は、「相互扶助のネットワークを発展させ、強靭なものに鍛え上げてい」くためのもののようである。だから、斎藤氏の言う「労働組合」は、プロレタリアートの即自的な団結形態などではない、相互扶助のひとつにされてしまっている。これでは、逆に、労働者が創り出している階級的団結をぶち壊すものとなるだけではないか!

 

 第4章 「人新世」のマルクス を読む。

 <コモン>という第三の道とは?
 斎藤氏によれば、<コモン>とは、「社会的に人々に共有され、管理されるべき富」のことだそうだ。この概念は、『<帝国>』の共著のアントニオ・ネグリマイケル・ハートが提起して有名になったものだそうだ。そして、第三という意味は、「アメリカ型自由主義」と「ソ連型国有化」の両方に対峙するものだから、とのことだそうだ。さらに、<コモン>は、「水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することを目指す」のだそうだ。
 だが、いったい、この「社会的」「富」を「共有」し「管理」する主体は、誰なのか?
「民主主義的に管理する」「自分たち」とは、誰を指すのか? 
 そもそも、斎藤氏は、この資本主義の経済法則である価値法則をどのように廃絶しようと考えているのか? 価値法則の廃絶なしに、「社会的」「富」を「共有し」「管理」できると本気で考えるのは、空想的社会主義以下でしかない! 今、世界的にブーム? になっているエコビレッジ(※世界各地で起こる持続可能な自給自足コミュニティ)のようなものをマルクスのことばで経済学的に基礎づけようとしたものでしかないのではないか?
 私の1日分の飯代は、全く無駄になってしまった、トホホホ…😿
          (2020年11月8日 砂川 香仁)