「 赤い闇 スターリンの冷たい大地で 」を観て

 この映画を観ようと思ったのは、ホランド監督の「ソハの地下水道」という彼女の監督した実話ベースの映画を数年前に観ており、安易な反共映画ではないと直感したからだった。


 映画は、レーニン亡き後の1930年代初頭。1929年発の世界大恐慌真最中の時代である。当時のソ連国内の実情は、昔の北朝鮮のようにベールに包まれており、主人公・ジョーンズ記者を含めて外国からの客は皆同じホテルに泊まらされた。別のホテルには泊まれないのだった。そこでは乱痴気パーティーが繰り広げられており、ピューリッツァー賞を取っている有名なニューヨークタイムズの記者もパーティーに興じており(国賓だったのだろう)、世界大恐慌の中のソ連の「繁栄」の謎はわからない。(そのニューヨークタイムズの記者はのちに「腹を空かせているが飢え死にしているわけではない」とジョーンズの記事を否定する記事をニューヨークタイムズに掲載。)「1984」を書いたオーウェルも「壮大な実験には犠牲はつきもの」とスターリンを擁護する。(のちには批判をして「動物農場」などを書いたのだが。)ジョーンズは、ここでは何もわからないと、ニューヨークタイムズ記者の部下からのヒント=「ウクライナ」の言葉を頼りにウクライナに出向く。そこで見たものは、列車に乗せて何処かへ運び出される大量の小麦袋、無口で、正気を失うしかなかった飢えた民衆。悪夢のような冬の町、飢えて死んだ人が、固くなった雪の上に倒れている。子どもの悲しげな歌声が流れるが、これは当時実際にあった歌の歌詞で、現在ではメロディはわからず映画を作るにあたり曲を付けたとのこと。モノクロに近い映像によく合っている。それらを目撃したジョーンズは変わっていく。監督は「真実と向き合うことで純粋無垢さを失う悲しい変化でもある」と言っている。しかし、私は、われわれは、残酷であろうと、歴史上起きた事実と向き合う義務がある、と強く思う。ジョーンズ記者を尊敬する。命がけで取材してくれたことに感謝する。


 北井信弘著『経済建設論』(西田書店)を手にとった。第一巻Ⅲ「現代ソ連邦の自己解体、その根源をなすもの」を読み、ソ連崩壊の根源が、スターリンによる農業強制集団化にあったことを理解した。スターリンの農民の扱いはひどいものだった。またスターリンは自分の命で動いた下部活動家をも裏切った。ウクライナだけでなく、北カフカス、ボルガ下流での農民の大量餓死。これは、反共のためのプロパガンダとしてではなく正しい歴史として皆が知るべきだと思う。(スターリン主義国以外の国でもそういった事実は沢山あるが。)

 スターリンの国家の価格=租税政策によって、農民だけでなく工業労働者も収奪された。1929年「階級としてのクラークの絶滅」指令が農業集団化の結節点、1933年の穀物の義務納入制で、農民からの収奪構造の確立。労働者たちが生き生きと労働に励むことがなくなったことは、自分がその立場であるというように想像すると、その気持ちがよく理解できる。旧ソ連の労働者たちは不幸だった。
 第二巻Ⅲ「マルクス主義のロシアへの適用」(創造ブックス刊『レーニンとロシア農民』「かえりみられなかったマルクスの手紙」も同じ)を読むと、ホロドモール(ウクライナにおける大量餓死)は、もしかしたら避けられたかもしれない、と考えた。
 「もし、ロシア革命が西欧のプロレタリア革命にたいする合図となって、両者がたがいに補いあうなら、現在のロシアの土地共有制は共産主義的発展の出発点となることができる。」(1882年『共産党宣言』ロシア語第二版序文)マルクスエンゲルスの言葉。
 マルクスの、女性革命家ヴェラ・ザスーリッチへの手紙の草稿にも、ロシアの資本主義化の特殊性の分析とともに、次の記載がある。―― ロシア社会の「全般的運動」の、全般的な蜂起のただなかでのみ「農村共同体」の局所的小宇宙性が打破されうる、ロシアの「農村共同体」は近代社会が指向している経済制度の直接の出発点となることができる、それは自殺することから始めないでも生まれかわることができる、との論述。


 もしマルクスが強靭な体質であって、もっと長生きをしていたら。レーニンマルクスの言葉をもっとしっかり受けとめていたら。そして、スターリンの異常性を早期に見抜き誰かがそれを封じ込めることが出来ていたら。簡単なことではないと思う。ソビエト連邦が、真に労働者の国になっていたら。あのように莫大な犠牲者は生まれなかった。餓死した人々、銃殺された人々、侵略された国々。
 でも、マルクスはロシアの農業について、しっかりと見通していたことを思うと、一筋の光が見えてくるのである。


 私の好きな作家のなかに宮沢賢治がいる。彼は岩手で困窮する農民に心を寄せていたが、「日本にはマルクス主義はなじみにくいと思う」と述べていた。一応マルクス主義を勉強しての言葉と思う。彼は警察に尾行されたこともあった。日本にはミールはなかったが、独特の農村社会があった。それを全部ちゃらにして新しい世界を作ることは無理があると思ったと私は推察する。しかし、それを活かしたうえでの革命がありうると知ったら、また違った意見を持ったのではないか。……などと夢想した。
      (二〇二〇年九月二九日 円奈々)