「七変化」の巻

「七変化」の巻

<都合にあわせて七変化!?>

 身のこなしの早い人:Aが奇妙な文章を書いた。彼は日頃、SNS上でその時々の状況に応じて、医者に扮したり、学生を名乗ったり、農夫を演じたり、文章上であるが、「七変化」が出来ることを自負している。まぁそれは自体は、とやかくいうべきことはない。いつもそれで「苦心」しているのだ、という気持ちもうけとめよう。彼の<七変化>が、特定の場においてある実践主体の「規定性の転換と意識の二重化・三重化」に関する歪んだ理解と結びついていることを度外視すれば、とりあえず「ご苦労様」である。もちろん彼の言葉に誰かが感化されるのだろうか、ということも今は問わないとして。
 しかし、そのようなことを超える問題が露呈した。彼が新たに書いた短文では、他者:有名人Xの文言の引用と、御本人の文言とが、判然とはしないかたちで混在しているように見えた。Xに依拠して自説を展開しているような匂いがする。その短文を読み内容に深刻な疑問を感じたBが、Aにたいして「こことここはXではなく、貴方自身の見解か」と訊ねたところ、Aは「そうです」と答える。そこでBは、AがA自身の考えを示したとする文言の誤りを理論的に指摘した。実に貴重で意味深い指摘だったといえる。するとAは、答えに窮し、「スカして書いたのが良くなかったかなぁ」と、曖昧ではあるが一応は反省的な弁を弄した。4月末のことである。
 ところが、5月1日になって、このやりとりの場に同席していたCが、いっこうに反省の色がないAに対して「Bに指摘されたことについて、少しは反省してはどうか」、と勧めると、Aは「あの文は、私が苦心してXシンパに扮し、なりすまして問題を提起したものであって、私自身の見解ではない」「Xは問題があり、私自身とは別だ」「あの文言が私の主体的見解であるかのようにみなしてXと近親的だなどと批判するのは、見当違いでしょう」とのたまわった。驚いたCは、Bにも伝える。Bも「ここは自分の考えかどうか、予め、確認してから批判したのに…」と絶句。「オレとXとを一緒くたにするな」というAに対しては、他の人も含めて、議論の進め方として、ちょっとヒドイだろう、ということで、このような議論の仕方および内容をめぐって一同は各々に怒り・悲しみ、彼に教育的思想闘争をくりひろげたことはいうまでもない。
 ところがまたしても変化。6月14日、Aは、「よく考えるとXは面白い、おかしいところもあるがすばらしいところもある。自分も同じような見解をもつところを書いた。」「Xの評価をやりなおすべきだ」と言い出し、あれほど区別立てをしていたところから一転して、Xを高く評価していることを表明した。「皆さんがXを研究していないのはおかしい」「これからX研究・合評論議をすべきだ」とまで言い出す始末。ここに至って、Aは自身がXにゾッコンであることを憶面もなく披瀝。(さらには、Bに対して〝芸術や芸術家の心を理解できない己を問うていないではないか〟などと嘯くに至っては、なにをか言わんやである。自分が〝有利〟だと思えるフィールドを探し、そこに論争の場や論点をかえるという彼の常套手段だと言ってしまえばそれまでだが。(それにしても、Xの芸術を〝理解〟することがいかほどのことか。ましてやXに感化される己とはなんなのか。)
 Cが、「扮しただけだ、と言っていたのはどうしたのか。あの時はああいったが、よく考えるとこうだった、という話が多すぎないか。」というと、Aは「よく考えるとこうだった。ああ、そうだったのか、と受けとめればいいじゃないか」という。こんな調子では、Aと議論する人々は、Aがその都度いうことを彼の意見として信じられるだろうか。
 このような会話が、市井で行われる分には、別にどうということはなかろう。仮に一定の学会のような研究者の間で行われたらどうか。あの人の言うことをうっかり真に受けたら大変だ、Aのいうことは信用できないから注意しよう、ということになる。研究者Aは、不誠実な人として、信用を失うだけであって、その意味で社会的報いを受けることになる。それでもここまでは、俗世間の話。これが、ブルジョア社会の変革をめざす共産主義者たちの間での議論だったとしたら、どうか?
 前衛党組織が「俗人天国」と化すことを断固として拒否し、前衛党をそれに相応しい質と力をもったものへと鍛え上げようとする者には何が問われるのか。

プラグマティズムの有効性」?

 仮に見解が変わったのであれば、「あー、本当はそうだったのか」では済ませられない。当然にも、「あの時はああ言い、今はこう言うでは、信用できないではないか」ということになる。「Aが以前の見解を変更するのであれば、過去の己の見解について、その時にはなぜそう述べたか、についての反省を提起すべきだ」、というのは当然のことであろう。いや、そもそも「あの時はああ言ったが、こういう理由でそれは違っていたと今は思う。本心とは違うことを言って皆さんを混乱させ、申し訳ない」程度の謝罪もまた必要ではなかろうか。これが己の発言、意見表明に責任をもつ、ということの出発点であることは言を俟たない。しかし、Aは恬として恥じず、進んで言いそうではある。――「もともとオレは、Xには問題もあるが、面白いところ・すばらしいところもあると言ってきた。その点は変わっていないではないか。」と。これは、己が問われたことをXの評価の問題にすりかえる詐術である。
 実際のAは、議論の進行のなかで「扮しただけ」ということでは、〝不利〟とみて、一転して開き直ったのであった。いやいや、彼は過去の文章には、己の尻尾が見え隠れしていることを突きつけられ、観念したというべきか、下手に反省の姿勢を見せるよりは、開き直った方が抗いやすい、と考えたのだろうか。いずれにせよ、彼は主張を翻すことによって、またさらに己の暗部をむきだしにしたのである。
 じつは、Aはこのようなやり方をしばしば用いてきた。その時々の都合にあわせて何の反省もなく見解や論点を変えて、何の痛痒も感じないのである。失敗したときには、現実の単なる評価・解釈替え。相手の批判内容をとりこんだり、「いやー、ゴメンゴメン」「わかった、わかった」「わかりましたよ、ありがとうございました。」などの遁辞を挟んで、何の反省もなく見解を変えるのはヨリ狡猾というべき。「本当はそうだったのか、わかったわかったと受けとめればよいではないか」などと他者に、「オレ流」に従うことまで求めるとあっては、何をか言わんや。
 いや、Aは時として論争を<政治ゲーム>のように感覚し、面白がっているかに見えることさえある。深刻な対立が発生しているにもかかわらず、彼にわかってもらいたいと一生懸命発言するDに向けて「口が尖っているゾ!」などとオチョクリを入れる。その時の彼の表情には笑みすら浮かぶ。実はおのれ自身が、(かつて彼が見下した官僚と同様に)持ち前の〝肺活量〟に訴えて場の〝制圧〟をはかっているにもかかわらず。「Cは腐敗している」などと彼の批判者に告げる時も、口元には笑みを浮かべる。批判者を困らせ、押し返すよほどの〝妙案〟が浮かんできたのであろうか。ここまで、他者に対する己の責任を何も感じない、倫理感のカケラも感じられない「共産主義者」などありうるのであろうか。
 Aが共産主義者を自称するのであれば、まさに「共産主義者としてのモラルの欠如」というべきではなかろうか。これはまさに根源的な倫理的=主体的な問題であろう。
 その根底は、彼が内に残していたブルジョア的な個人主義が頭を擡げてしまったことにあると言わざるをえない。彼の過去の実践が他の同志からラディカルに批判されたその時、「彼は冷たい」「浮いている」などの逃げ口上を吐きつつ思想闘争を忌避し、逃げの姿勢に入るとともに、当の批判者を貶めることに躍起となった。彼は己のタガとして身にまとっていた共産主義者としての節度すらもはや失った。残ったものは、過去的な彼そのものである。「オレはそんなことは認めていない」「意見が違うからしょうがないではないか」というような、彼が屡々口にする言辞に、現在の彼が〝思想信条の自由、言論表現の自由〟といったブルジョア的理念をのこしたまま生きてきたこと、そして今まさにそれを盾としていることが、露出している。己の自己愛的行動・主張を原則的に正当化し、保身をはかろうとすれば、ブルジョア的理念を盾にするほかなかった。ブルジョア的な<個>を拠点として、決してこの<個>を問うことなく、<体制>に精神世界でのみ叛逆するXとの根本的同一性があるのであって、プロレタリア的主体性、共産主的前衛組織に固有の思想闘争の論理とは無縁なのである。彼にとって「主体性」とは己に否定的に向かってくる「権威」には絶対屈しないぞ、とでもいうべきものとなってしまっている。己がいかに、がない。己を顧みないのである。反「権威」を標榜する没主体性――己の実践を顧みようとしない彼の実情はこのように形容するしかない。見窄らしい己の現実は、彼の視界と実感の外なのである。これは共産主義者としての思想的死を意味する。革マル派現指導部の面々の反対派メンバーに対する反駁は、まさに〝ポジション・トーク〟だというCの弾劾に「そうだ!」と賛同していたAはもはやいない。
 思想的に死んだ彼の行動原理は(思想としてのプラグマティズムを彼が学んだはずもないが)まさに〝ジコチュー的〟プラグマティズムであると、断じざるをえない。〔スターリンの「スターリン主義」者への転落は、同志黒田寛一のいう「過渡的諸方策の原則化」をステップとした。スターリンが「アメリカ的事務能力」(プラグマティックな手腕)に憧れたことも、宜なるかな。しかし、Aの転落は、それをも超える(=下回る)ものとなりつつある。〕
 今日のAは、①スターリン主義者の官僚主義的組織づくり、②現・自称前衛党(革マル派)の官僚主義的腐敗、③真の前衛をめざす組織における思想闘争の組織的推進――これらをすべてゴッチャにすることを通じて、組織内思想闘争をつうじての<全と個の統一>というプロレタリア的前衛党の理念そのものをも放棄してしまった。このことが組織内において平然と<七変化>を演じることができる最深の根拠をなすと言える。「オレは承認(承諾)していない」などという彼の口癖ともなった言辞が、そのドンヅマリを示している。<転向>者は常に、<個>に立て籠もって<組織的>なるものに叛逆してきたのであるが、彼もまたその転向者の轍を踏もうというのであろうか。〔なお、組織内思想闘争の革命的な推進ぬきに「私は組織、組織は私」などというアプリオーリな「同一性」を絶叫するところにまで転落したのが、昨2019年12月以降の革マル派現指導部であるが、彼らがシンボルとしてうちだした「組織哲学」なるものの裏返しが、変質したAの「オレ」哲学だともいえる。Aの「哲学の貧困」は目を覆うばかりであったが、悲しむべきことに彼は――われわれの「共学」の提案すらも足蹴にし――その克服の闘いを最後的に放棄した。〕
 永年「反スターリン主義者」を自称し、かつそのような者たらんとしてそれなりに努力してきた人物がこのような体たらくをしめした時、彼を知る人々はどう受けとめるのだろうか。決して曖昧にはできない問題である。すべての仲間は、このような彼と対決するおのれ自身を凝視すべきなのだ。
 問われているのは、過去のおのれを超えて前進せんとするわれわれ自身なのである。
                     (二〇二〇年七月一五日  磐城 健)