〈反帝国主義・反スターリン主義〉世界革命戦略の歪曲――「中国=ネオ・スターリン主義」規定の誤謬

 〔「革マル派」現指導部は、「革命戦略上・運動=組織路線上・組織建設路線上の対立などとは全く無縁な地平で、……」などという非難を、われわれに投げつけた。これは、これらのすべての理論的諸部面にわたってのわれわれの批判から彼らが逃げまわってきたことをおおい隠す言辞にほかならない。このような非難は、彼らの〈反帝国主義反スターリン主義〉世界革命戦略の歪曲への、したがって同時に、彼らの言う「中国=ネオ・スターリン主義」規定への、われわれの批判に何かひと言でも答えてから言ったほうがいい。
 ここに、彼らの革命戦略上の歪曲を批判した私の論文を掲載する。
 この批判に何か答えてみよ!
     2022年8月3日  松代秀樹〕

 

 

 反帝国主義反スターリン主義〉世界革命戦略の歪曲
  ――いま今日の中国(国家)をネオ・スターリン主義と規定するのはなぜなのか


 「ネオ・スターリン主義」とはどういう意味なのか

 

 「解放」の二〇一三年新年号(第二二五〇号)において一斉に、今日の中国(国家)にたいして、「ネオ・スターリン主義」という規定があたえられた。これはいったいなぜなのか。いまなぜ今日の中国をこのように規定するのか、ということも、中国のどのような現実をさしてこう言うのか、ということも、「ネオ・スターリン主義」とはどういう意味なのか、ということさえもが、どの論文においても書かれていない。でてくるのは、この言葉だけなのである。
 巻頭の植田論文では次のように展開されている。
 「二十一世紀現代世界における全世界プロレタリアートの普遍的任務は、〈反帝国主義反スターリン主義〉以外にはありえない。
 帝国主義が今なお生き延びているのは、あらゆる意味でスターリン主義のゆえにほかならない。それだけではない。現代中国は、ネオ・スターリン主義国家なのであって、中国の労働者階級はみずからの国家権力打倒のスローガンとして〈反スターリン主義〉を高々と掲げなければならない。同時に、かの栄光のロシア・プロレタリア革命の実現にもかかわらず、この革命ロシアがスターリン主義によって歪曲され、そして倒壊したというこの屈辱的現実。このロシアのプロレタリアートは〈反スターリン主義〉でみずからを武装しつつ、FSB強権型支配体制を打倒し、真のマルクス主義武装したプロレタリアート独裁国家をうちたてなければならないのである。
 そしていうまでもなく、わが日本においては、断末魔であるとはいえ、いまなお日共スターリニスト党が余命を保っているのであって、当然にもその革命的解体は、われわれの焦眉の組織的任務にほかならない。」
 無署名論文では次のように書かれている。
 「まさに今、現代資本主義の末期性について多くの労働者・勤労人民が直感している。そしてまた「社会主義」の看板を掲げたネオ・スターリン主義中国の反人民性も赤裸々になっている。だがしかし、スターリン主義のエセマルクス主義としての本質がいまだに自覚されていない。
 まさにいま全世界の労働者が勝利にむかって前進するためには、スターリン主義と主体的に対決していくことが絶対的に必要である。そのことなしには、全世界のプロレタリアートの自己解放をかちとることは決してできないのだ。」
 水木論文では次のようにのべられている。
 「「社会主義国」を自称しながら、この国の政治経済構造を国家資本主義に転換させ、無産者につきおとされた労働者たちや失地農民や農民工たちを生き血として資本に供することによって延命してきた中国ネオ・スターリン主義。その党はいよいよ思想的に空洞化し、その組織の中枢から腐臭をはなってさえいる。
 ……腐臭をはなっている中国共産党、このネオ・スターリン主義党を解体し、反スターリン主義武装した革命的前衛党の創造をめざして闘いをおしすすめよ!」
 すでに「解放」第二二四六号では次のように書かれていた。
 「いま、苦難を強いられ悲惨を強制されている中国の労働者人民は様ざまな形態をとって、陸続と抗議の闘いに起ちあがっている。しかし、その闘いはなお今日の中国共産党のネオ・スターリン主義としての本質をつかみえず即自的な闘いにとどまっている。」
 「ネオ・スターリン主義」というのはスターリン主義のネオ形態ということであろう。今日の中国の党や国家を、ネオであれ何であれスターリン主義と規定するのであるならば、それは、今日の中国の党・国家・政治経済体制・そしてイデオロギーの根底につかみとられるところのその本質として、したがってそれらをその根底から規定しそれらをつらぬくその本質として明らかにされなければならない。それは、スターリンの「一国社会主義」のイデオロギーをその本質とするスターリン主義の一形態として明らかにされなければならない。けれども、このようなことを明らかにする論述は何もない。「ネオ・スターリン主義国家」とか「ネオ・スターリン主義中国」とか「ネオ・スターリン主義国」とか「中国ネオ・スターリン主義」とか「ネオ・スターリン主義党」とかというように、「ネオ・スターリン主義」という言葉は、「中国」「国家」「党」の修飾語として語られているにすぎない。
 「今日の中国共産党のネオ・スターリン主義としての本質」というばあいは、何ら規定されていない「ネオ・スターリン主義」ということが、今日の中国共産党の本質にまつりあげられている。われわれがこれから明らかにしなければならない「ネオ・スターリン主義」という規定が、いやこの用語が、分析主体たるわれわれ、および、われわれがみずからの分析の対象とする今日の中国共産党という物質的現実、この主客の二実体をぬきにして実体化され、あらかじめ実在するかのような、先験的な「本質」とされているのである。
 無署名論文では、わずかに「スターリン主義のエセマルクス主義としての本質」という一句もでてくるのであるが、それは「労働者・勤労人民」によって「いまだに自覚されていない」こととしてのべられているにすぎず、その直前に書かれている「ネオ・スターリン主義中国の反人民性」ということとは切断されている。すなわち、せっかく先の「本質」ということを書いているにもかかわらず、「ネオ・スターリン主義中国」という規定を、ここにいう「本質」から捉えかえして展開してはいないのである。しかもここでは「スターリン主義」の「本質」規定の内容はうすめられている。「エセマルクス主義」というのでは、スターリン主義だけではなく、マルクス主義のあらゆる歪曲形態に妥当する規定である。スターリンによって歪曲されたマルクス主義スターリンの「一国社会主義」のイデオロギーを本質とするスターリン主義、というようには明らかにされていないのである。「エセマルクス主義」というようについうすめてしまったのは、今日の中国の党・国家・政治経済体制・イデオロギーをその根底から規定するところのものを、スターリンの「一国社会主義」のイデオロギーを本質とするスターリン主義、その一形態として明らかにすることには無理がある、という感覚・意識・下意識的意識が筆者によぎったからではないだろうか。スターリン主義の規定を、「社会主義」を言葉としては掲げている今日の中国の党=国家官僚にも当てはまりそうなものに変えてしまったのではないだろうか。

 

 スターリン主義負の遺産の超克」論の誤謬は克服されたのか

 

 新年号の諸論文で大々的にうちだされているにもかかわらず、その内容をまったく明らかにすることのできないこの用語がもちだされたのは、いったいなぜなのだろうか。
 現段階における世界革命戦略、〈反帝国主義反スターリン主義〉世界革命戦略を、変貌した今日の世界情勢のもとで、この物資的現実において基礎づけるために、この「ネオ・スターリン主義」という用語はもちだされたのであろう。だが、この用語のもちだしは、かつて乱舞したところの「スターリン主義負の遺産の超克」というフレーズ、ここにはらまれている問題性を克服しようと意図しながらも、このフレーズのなかの「スターリン主義負の遺産」という句を「ネオ・スターリン主義」という用語に置き換えることをもって、その問題性の克服としたものである、といわなければならない。このような克服の仕方がうみだされたのは、次のことにもとづく。すなわち、〈米中新対決の時代〉には「スターリン主義負の遺産の超克」というかたちで〈反スターリン主義〉を継承していく、という主張は、〈米中新対決の時代〉の名のもとに、われわれの〈反帝・反スターリン主義〉世界革命戦略、その〈反スターリン主義〉戦略を「スターリン主義負の遺産の超克」戦略に歪曲するものである、という私の批判を――この批判にまったく何も答えないというかたちで――無視抹殺し足蹴にし、このスローガンにはらまれている問題性をその根底からえぐりだし克服するための理論的=組織的闘いを徹底的におこなわなかったからである。われわれが対決している対象の一つたる中国の党および国家を、「スターリン主義負の遺産」と規定するのではなく、「ネオ・スターリン主義」である、なおスターリン主義なのだ、と規定することをもって、自分はスターリン主義と対決しているのだ、「反スターリン主義」戦略を堅持しているのだ、というように自己を納得させたことにもとづくのである。
 「スターリン主義負の遺産の超克」というフレーズは、同志黒田の死の半年後に登場しそれから一年余りにわたって「解放」紙上で跋扈した。そして忽然と消えた。けれども、一世を風靡したこのフレーズを尻ぬぐいする論文は、「解放」紙上に掲載されてはいない。この尻ぬぐいをやらないというのは、それこそ全世界の労働者・勤労人民に害毒をまき散らすものではないだろうか。
 同志黒田寛一一周忌の論文では次のように展開されている。
 「胡錦濤の中国にせよ、プーチンのロシアにせよ、現代帝国主義との対抗において敗北し自己崩壊をとげたスターリン主義、その末裔どもが――それぞれの統合イデオロギーを異にするとはいえ――破産ののりきりのために政治経済構造の国家資本主義的改造の方途をとっているといえる。このようなものとしてこの両者は、〈スターリン主義負の遺産〉としての性格・意味をもっているのである。
 この中国とロシアを、それぞれ破産したスターリン主義ののりきりの第一ならびに第二の形態としてとらえ返すならば、その第三の形態が、旧東欧諸国(地政学的には現中欧諸国)ならびにわが日本や西欧諸国の、修正資本主義=真正社会民主主義への転換をとげた転向スターリニスト諸党であるといえる。」
 「同志黒田が明らかにした〈反帝・反スターリン主義〉世界革命戦略は、いわゆる東西両陣営による分割支配のもとにあった二十世紀現代世界の分析把握、〈帝国主義スターリン主義との相互依存・相互反発〉を根源として運動する物質的世界という法則的把握にふまえて、解明されたのであった。スターリン主義ソ連邦の崩壊を結節点としてスターリン主義の自己崩壊が画され、いまや〈米中新対決の時代〉または〈米―中露新対決の時代〉への現代世界の転換がもたらされている今日においては、この現代世界の転換についての分析把握にふまえて、しかも〈スターリン主義負の遺産〉の超克=根絶というかたちにおいて〈反スターリン主義〉を継承していくべき本質的必要性からして、〈反帝・反スターリン主義〉世界革命戦略を内容的に具体化していくことが、われわれに問われているのである。これは、同志黒田亡きあとの歴史的現実のもとで、われわれに課せられている反スターリン主義革命諸理論の理論的探求上の一つの核心問題をなすのである。」(『新世紀』第二三〇号、一六~一七頁)
 ここでは、〈帝国主義スターリン主義の相互依存と相互反発〉の時代に〈反帝・反スターリン主義〉世界革命戦略を同志黒田は解明したのであったが、〈米中新対決の時代〉となった今日においては、〈スターリン主義負の遺産〉の超克=根絶というかたちにおいて〈反スターリン主義〉を継承していく、というように、前半と後半とがパラレルに論じられている。いまや、われわれの〈反帝・反スターリン主義〉世界革命戦略は過去の時代のものとみなされ、〈反スターリン主義〉は、われわれが継承していくものにおとしめられているのである。
 しかも〈反スターリン主義〉を今日的に継承していく形態としてうちだされているところの「〈スターリン主義負の遺産〉の超克=根絶」、これの〈スターリン主義負の遺産〉とは、スターリン主義の末裔どもが破産ののりきりのために政治経済構造の国家資本主義的改造の方途をとっているところの今日の中国やロシア(さしあたり第一・第二形態とされているものを挙げれば)というものでしかないのである。われわれはスターリン主義そのものを超克するのではなく、われわれが超克すべきものはそれの「遺産」にすぎないのであり、スターリン主義者そのものを問題にするのではなく、それの「末裔ども」がやっていることを問題にするだけなのである。これでは、当然にも、現段階における〈反スターリン主義〉戦略を理論的に基礎づけることはできない。筆者は、「スターリン主義の自己崩壊が画され」てしまったがゆえに〈反スターリン主義〉戦略(われわれの世界革命戦略の一モメントとしてのそれ)を理論的に基礎づけることができなくなって困ってしまい、スターリン主義は死んだのだからその「遺産」を超克=根絶することがわれわれの任務だ、ということをひねりだしたのである。スターリン主義が破産したがゆえにこそ、われわれは、破産したところのスターリン主義そのものを超克していくのだ、われわれはスターリン主義そのものをその根底からのりこえていかなければならない、というようには、筆者はまったく考えていないのである。
 筆者のこのような混迷――実際には困っているにもかかわらずそのようなものとして自覚せず自信にみちみちている、という自覚せぬ混迷――にたいして、今日の中国の党・国家は「ネオ・スターリン主義」であり、少なくとも中国ではスターリン主義はまだ生きているのだから、われわれの〈反スターリン主義〉戦略もまたまだ生きているのだ、ということを対置して何になるのであろうか。これは、われわれが対決している対象を別様に解釈して自己を納得させる、というようなものではないだろうか。
 「スターリン主義負の遺産の超克」論も、これを克服したものとしてうちだされているものも、そこにつらぬかれているのは、客観情勢とわれわれの世界革命戦略とを一対一的に対応させて考える考え方であり、スローガン主義的思考法である。「スターリン主義負の遺産」とか「ネオ・スターリン主義」とかといったシンボルをこしらえあげなければならないのは、いったいなぜなのであろうか。
 現代ソ連邦の自己解体というかたちにおいてスターリン主義は破産した。まさにこのゆえにこそ、われわれは、破産したところの当のものそのもの、スターリン主義そのものをその根底からのりこえていかなければならないのである。だから、現段階におけるわれわれの世界革命戦略は〈反帝・反スターリン主義〉なのである。
 スターリン主義は破産した。スターリン主義を人格化して表現するならば、スターリン主義は死んだ、といってもよい。だが、今日の中国(ロシア)の国家を牛耳っている者ども、国家権力者は、かつてはスターリン主義者であった。スターリン主義者であった人物そのものは死んではいない(スターリン主義者であった老齢の者はその後死んだが)、ピンピンしているのである。スターリン主義者、スターリン主義党=国家官僚であった人物が、みずからのもっていたスターリン主義というイデオロギーを捨て、自国を資本主義的政治経済構造に変える、というイデオロギーをみずからのものとしたのであり、これらの人物が、党=国家官僚として、自己のこのイデオロギーにもとづく諸政策を自国の経済的現実に貫徹したのである。だから、「遺産」とか「末裔」とかとは、言えないのである。また、中国の彼らは、いまなおスターリン主義者である、とは言えないのである。彼らは、みずからのもっていたスターリン主義というイデオロギーを捨てたのであり、これにとって替えた「資本主義化」というイデオロギーとその諸政策を現に物質的現実に貫徹したがゆえに、彼らは党=国家官僚のままで資本家となったのである、国家資本の人格化された形態をなす資本家となったのである。
 このことは、次のような論理を考えるならば明らかであろう。観念論から唯物論への過渡、というようには言えない。観念論と唯物論とは、相対立する別の哲学体系をなすのであり、前者から後者への過渡というようなものはありえないからである。梅本克己が哲学的に探究したところのものは、観念論者から唯物論者への過渡、と表現されなければならない。観念論者であったこの私がいかにしておのれの観念論的立場を克服し唯物論者へと自己脱皮していくのか、この主体的な自覚の論理を、彼は追求したのだからである。――ということを、である。
 今日のロシアや中国の現実の分析に、この論理を論理として適用することが肝要なのである。この論理を駆使し、スターリン主義専制国家の党=国家官僚としてスターリン主義者であった者どもが、自己がもっていたスターリン主義というイデオロギーを破棄して、自国のスターリン主義的政治経済体制を解体しこれを資本制的政治経済構造に変えることを意志した人間に転身・転向した、というように把握すべきだ、ということである。ロシアのスターリン主義者であった者どもは共産党それ自体を解体したのであったが、中国のスターリン主義者であった者どもは共産党を解体することなくそれに君臨したうえで、党=国家官僚として右のように意志して、みずからのこの意志すなわち国家意志を中国の経済的現実に貫徹し、そうすることによってみずから党=国家官僚のままで資本家(官僚資本家)となったのであり、このことをおおい隠し党指導者として君臨するために「社会主義市場経済」といったイデオロギーをふりまいているわけなのである。右に見た論理を適用することをとおして、このような把握がなされなければならない。
 「スターリン主義負の遺産」といった把握は、スターリン主義者であった者どもというこの実体をぬきさった、すなわち人間をぬきさった把握なのであり、人間をぬきにしているということをおおい隠すために、スターリン主義というイデオロギー(党・国家・政治経済体制をつらぬく本質的イデオロギー)をあたかも人間であるかのようにとりあつかったものなのである。もしもスターリン主義官僚専制国家権力が、国内につくりだされた帝国主義的諸勢力によって打倒されたのであるならば、国家権力をにぎったこの帝国主義的諸勢力にとっては、彼らが眼前にしているロシアないし中国の悲惨な社会的経済的現実は「スターリン主義者の負の遺産」をなす、というように言うことができるわけである。けれども、実際に起こったことはそういうことではない。また、「末裔」という言葉はふつう、或る人物の子孫にたいしてつかうのであって、或る一人の人物の転身・転向についてはこのようには言わない。だから「スターリン主義の末裔」という句は、スターリン主義者であった者どもという実体=人間をぬきさっていることの紋章なのである。もしも「末裔」という言葉をつかうのであるならば、転向したうえで国家権力を握っている者どもをさして「スターリンの末裔であった者ども」とよべるにすぎない。
 さらに、「スターリン主義負の遺産」といった把握を克服するものとして(そのようには書いていないがそういうものとして)うちだされたところの、中国の党や国家を「ネオ・スターリン主義」とする規定もまた、スターリン主義者であった者どもというこの実体をぬきさったものである。無署名論文で乱発されている「ネオ・スターリン主義中国」という用語法に端的にしめされているように、その担い手をぬきさったところの「中国」ないし党や国家、すなわち諸実体ぬきの空っぽの形態つまり形骸、これの呼び名をどうするのか、ということに腐心しているにすぎないのである。無署名論文では書かれてはいないけれども水木論文で書かれているところの、「「社会主義国」を自称しながら、この国の政治経済構造を国家資本主義に転換させ」という規定をとりあげるならば、自国の政治経済構造を国家資本主義に転換させることを意志した国家権力者は、はたしてスターリン主義者なのであろうか。たとえ「ネオ」という言葉をくっつけたとしても、はたしてスターリン主義者なのであろうか。このように意志した国家権力者は、スターリン主義者から転向した、と言うべきなのではないだろうか。こう意志した瞬間において国家権力者たるこの主体は本質的に転換した、といわなければならないのでないだろうか。こうしたことがらを考察しないことをおおい隠すために、すでに形骸として認知された「中国」、これのたんなる修飾語として「ネオ・スターリン主義」という用語がとりあつかわれているわけなのである。
 さらにいうならば、「ネオ・スターリン主義」という修飾語をくっつける形骸のなかから、今日の中国の政治経済構造が、慎重に外されている。新年号の三つの論文では、今日の中国の政治経済構造はネオ・スターリン主義である(ネオ・スターリン主義政治経済体制である)、という規定はどこにもでてこない。われわれは、スターリン主義という概念を、(現代ソ連邦や中国などの)党・国家・政治経済体制・イデオロギーを規定する本質的概念として、すなわちこれらの諸実体をふくみつつかつ否定した本質的概念として把握してきたのではないだろうか。いま、スターリン主義という概念の内容から、政治経済体制にかんする規定、すなわちスターリン主義政治経済体制という規定をぬきとるのであろうか。それとも、今日の中国の政治経済構造はネオ・スターリン主義政治経済体制である、と規定するのであろうか。もしもそう規定するのであるならば、その規定の内容はどのようなものなのであろうか。
 今日の中国の党や国家を「スターリン主義負の遺産」と規定するのも「ネオ・スターリン主義」と規定するのも、その立場は客観主義である。われわれがこうした特定の現実を分析するときに、スターリン主義者であった者どもという実体=人間をぬきさるのは、他面からするならば、分析主体の立場が客観主義に転落していることにもとづくのである。分析主体が、おのれの分析の対象とする特定の現実、これをつくりだしている諸実体のうちの一定の実体の立場に、すなわちスターリン主義者であった者どもの立場に、わが身をうつしいれて主体的に分析しているのではない、ということに、右の二つの規定がうみだされる根源があるのである。
 スターリン主義者であった者どもが、みずからのもっていたスターリン主義というイデオロギーを破棄して、党=国家官僚として、自国のスターリン主義政治経済体制を解体してこれを資本制的政治経済構造に変えると意志し、党=国家官僚たる彼らが自己のこの意志を自国中国の政治的経済的現実に貫徹することをとおしてつくりだされたのが、今日の中国の国家であり、今日の中国の政治経済構造なのである。まさにこのゆえにこそ、現存する中国の国家権力を打倒するための世界革命戦略は〈反帝・反スターリン主義〉なのである。

 

 「富裕層」という通俗的分析がなされる根拠は何か

 

 無署名論文では次のような分析がなされている。
 「そして他方、今なお「中国の特色ある社会主義」とか「人民中国」とかの看板を掲げている中国では、党官僚とその親族、これと結託した企業経営者などの富裕層が汚職と不正蓄財とによって社会の富を独占している。じつに人口比一%の一握りの富裕層が、中国社会の富の四〇%を独占しているという。だがしかし、「腐敗問題の解決」を口にする胡錦濤習近平をはじめとする党官僚は、みずからが不正蓄財や汚職に手を染めることができる官僚的特権を決して手放そうとはしない。いま中国では労働者・農民工・農民たちが、「仇官」(権力者=官僚を憎む)「仇富」(金持ちを憎む)を合言葉にして、怒りに燃えて闘いに起ちあがっている。」
 富裕層が社会の富を独占している、とは、なんと通俗的分析、社会学的分析であることだろうか。もちろん、そういうことが言われている、と紹介することはよい。問題は、そのように言われているところの対象たる現実そのものをわれわれがどのように分析するのか、ということである。けれども、このパラグラフの最初から最後まで同じトーンのことが書かれているにすぎない。引用したこのパラグラフは、即自的展開の部分ではない。これが、最後の章の最後の節で中国それ自体について書かれていることのすべてなのである。
 とにかく、この展開は奇妙である。「党官僚とその親族、これと結託した企業経営者など」というように、どういう奴らなのかということをせっかく具体的に挙げたにもかかわらず、そいつらをひとまとめにしてそれに「富裕層」という概念規定を筆者があたえたことが、私には奇妙なのであり、そうしたうえで、「富裕層が汚職と不正蓄財とによって社会の富を独占している」という俗人まがいの文を筆者が書いたことが、私には奇妙におもえるのである。この謎は、次の文、すなわち自分の分析内容を実証的に裏づけるために、自分が読んだ資料の内容を紹介している文を読むと――その直接性にかんするかぎりは――解ける。「富裕層」とか「社会の富」とかという用語をつかって筆者が自分の分析内容を展開したのは、彼が読んだ資料においてそれらの用語がつかわれていたからだ、筆者は自分が読んだ資料の内容にオルグられた頭で、そこでつかわれている用語をそのままつかって論文を書いただけのことなのだ、とわかるのである。だが、これはいったいどうしたことか、筆者はいったいどうなってしまったのか、と謎は深まるばかりなのである。資料を読んだときに、この「富裕層」とはいったい何をさすのか、ここで「富裕層」と呼称されているところの物質的現実そのものは何か、その現実そのものをわれわれはどのように分析すべきなのか、というように、筆者は頭をめぐらせてはいないのである。
 「党官僚とその親族、これと結託した企業経営者などの富裕層」という句は、筆者がおのれの把握内容を言語体をつかって対象的に表現したものなのであるが、彼がこのように表現するということは、彼が資料を読んだときの彼の内面的な思惟の営みそのものが次のようになっていたからだ、と私にはおもえるのである。「富裕層」という文字表現態を彼が見るとともに、彼の頭にはパッと、党官僚、その親族、これと結託した企業経営者、といった言葉がひらめきうかぶ。このとき、これらの言葉と、これらの言葉によってあらわされる概念をもちいてわれわれが把握するところの物質的現実そのものとを区別するかたちでは意識されていない。両者が混然一体となるかたちで表象されている。この渾然一体となったのものと、いま頭に入ったばかりの「富裕層」という言葉とが、彼の頭のなかでペッタンコいっしょになる。こうしたものが彼の意識の底に記憶として沈殿する。――こういうことが、彼の頭のなかで起こっているのではないだろうか。そうでなければ、筆者が先のような表現をとることはない、自分の分析内容を言語的に表現するときには、筆者は、「富裕層とよばれるこれこれの者ども」というようにでも書く、と私にはおもえるのである。もしも「富裕層」を、ここに挙げられている者どもにかんする本質的規定である、と筆者が考えているのだとするならば、中国のもろもろの人々を、彼らはどのような諸階級・諸階層からなりたっているのかというようにマルクス主義的に分析することを、彼は放棄した、ということになってしまうのである。彼の分析力・思弁力・論理的諸能力・プロレタリア的価値意識はいったいどうなってしまったのであろうか。
 筆者が挙げている者どもは、その多くは国有企業の経営者あるいは国有企業を統括する国家諸機関の官僚(党=国家官僚)なのであり、これらの者どもは国家資本の人格化された形態をなすのである。また私営企業を経営している者どもは、そうした諸資本の人格化された形態をなすのである。このようなものとして、彼らは中国のブルジョア階級を構成するのである。それとともに、中国社会の富は、資本という規定をうけとるのである。さらに、汚職と不正蓄財とは、彼らの致富手段の全体からするならば、氷山の海面から上にでている部分にすぎないのであって、彼らは労働者・勤労大衆から膨大な剰余価値を搾取しかつ収奪しているのである。他方、労働者・農民工は、賃労働者=プロレタリアをなすのであり、農民もまた階級的・階層的に分化してきているのであって、そのことが分析されなければならないのである。
 どうも、この無署名論文の筆者には、右のような階級的な分析をしたくない、という下意識的意識がはたらいている、と私にはおもえてならない。今日の中国の党や国家を「ネオ・スターリン主義」と規定するならば、今日の中国の政治経済構造についてはこれをどう規定するのか、ということが問題となるのであり、今日の中国の政治経済構造は資本制的に変質したのではなく、それはネオ・スターリン主義政治経済体制をなす、と言いきってしまえば、この言は、現実離れしたものとなってしまうか、たんなる言葉のひねくりまわしになってしまうかするのであって、この問題については考えるのを回避したい、という意識が彼をつきうごかしているのであろう、ということである。このことについてはすでにのべた。
 今日の中国には、共産党を自称する党が厳然と存在しているのであり、この党をわれわれはどのように分析するのか、ということが問題となる。この分析を、現実の下向分析にわれわれの諸理論・諸論理を総動員して適用する、というかたちでおこなっていないことが問題なのである。「党官僚は、みずからが不正蓄財や汚職に手を染めることができる官僚的特権を決して手放そうとはしない」などと言ったとしても、これは、同義反復的な、あるいは官僚の言辞への切りかえしというような、政治的ケチつけでしかない。中国の法律に違反している氷山の一角しか問題にしていず、合法的な、すなわち法のもとでの平等にもとづく剰余労働の搾取については何らつきだしていない、ということについてはすでにのべた。合法主義的な分析・弾劾と見まがうような、こうしたことしか書かないのは、党およびこれを構成する党員を、この党員がいったいどのような存在になっているのか、ということとの関係において分析していないからである。
 中国共産党の今日の変質を分析するためには、われわれ主体=党員の・そのおいてある場に規定された・規定性の転換、という論理を想起し念頭におくことが必要である。とはいっても、この論理の応用問題のようなものなのであって、党およびそれを構成する党員という主体を、この主体のおいてある場との関係において考察する、ということが、ここでの問題なのである。
 わが党は革命的プロレタリアをその構成実体とするのであり、わが党を構成する党員は労働現場において実存するプロレタリアなのであって、このゆえに労働運動の場において組合員として活動するわけなのである。ところで、中国共産党の構成実体はスターリン主義者であったのであり、彼らは国家諸機関の官僚、とりわけ経済行政をつかさどる省庁の官僚、そして企業経営=技術官僚などが主軸を占めていたのであった。ここにおいて、――われわれの運動=組織づくりの論理とは異なって――彼ら中国共産党員のおいてある場が歴史的に変化した、ということが問題となるのである。以前には、彼らのおいてある場は、スターリン主義政治経済体制をなしていたのであり、彼らはそこのもろもろの部署の官僚であった。いまやスターリン主義政治経済体制は解体され、それは資本制政治経済構造に転化した。すなわちスターリン主義的官僚制計画経済を構成していた国有=国営諸企業ないし各省庁の現業部門は、商品=労働市場にあみこまれた株式制の国有企業となったのであり、もろもろの部署の官僚は官僚資本家となったのである。いいかえるならば、スターリン主義的計画経済を構成していた諸生産過程、その主客両契機をなしていたところのものは、形成された商品=労働市場にこれらの諸生産過程があみこまれることをとおして、資本の定有という規定をうけとったのであり、もろもろの部署の官僚は、国家資本をなす生産諸手段の人格化された形態つまり官僚資本家となり、労働者たちは賃労働の人格化された形態たるプロレタリアとなった、ということである。だから、中国共産党の党員は、党員のままで、みずからの社会経済的存在形態を、スターリン主義官僚から官僚資本家へと変えたのであり、そうすることによって、中国共産党は、もろもろの部署のスターリン主義官僚を構成実体とする党から、もろもろの地位の官僚資本家やその他の資本家を構成実体とする党に転化したのである。したがって、党官僚から下部党員まで、彼らが汚職や不正蓄財に手を染めるのはあたりまえのことなのである。資本を増殖することこそが彼らの使命なのであり、法の網をかいくぐることは彼らの手腕にかかわることなのだからである。あるべきプロレタリア前衛党を基準にして中国共産党を批判するのは、彼らを美化するだけのことである。

 スターリン主義に主体的に対決すべきなのは誰なのか

 無署名論文の、冒頭で引用した部分をもう一度見かえしてみよう。スターリン主義と主体的に対決していく、ということは、どういう意味で言われているのであろうか。
 「スターリン主義のエセマルクス主義としての本質がいまだに自覚されていない」というのは、労働者・勤労人民がいまだに自覚していない、という意味である。事実としてはそうにはちがいないのであるが、このように言うのは、われわれはその本質を自覚しているのだ、という高みからものを言っているものではないだろうか。われわれは、労働者・勤労人民に、その本質についての自覚をいまだにうながしえてはいない、という文章展開であるならば、私にもわかるのである。それはなぜか、というように、われわれ自身の限界をえぐりだしていくことへと下向していくことができるからである。
 次の「まさにいま全世界の労働者が勝利にむかって前進するためには、スターリン主義と主体的に対決していくことが絶対的に必要である」という文のなかの「スターリン主義と主体的に対決していく」主体は誰なのであろうか。それは、全世界の労働者、であろう。われわれ、ではないであろう。もしも、この主体をわれわれ、というように筆者が考えていたとするならば、彼はこの文を、「まさにいま全世界の労働者を勝利にむかって組織し前進していくためには、われわれはスターリン主義と主体的に対決していくことが絶対的に必要である」と書くであろうからである。このように書いていないということは、この筆者が、自分はスターリン主義と主体的に対決しているのだ、主体的に対決しえているのだ、主体的に対決したのだ、という高みにたっていることを意味する。彼は、自分自身はスターリン主義と主体的に対決しえている、という高みにたって、スターリン主義と主体的に対決していくべきことを全世界の労働者の任務とし、彼らにむかってこの任務を遂行せよ、と要請しているのである。
 われわれはスターリン主義と主体的に対決するぞ、という決意、決意を新たにする決意を、新年号の筆者三人のだれ一人として表明してはいない。いや、文として書く必要はない。筆者がこの決意にみなぎっているということが、行間からほとばしりでていればよい。だが、私には、そのようなものはまったくつたわってこない。このおのれ自身ははたしてスターリン主義と主体的に対決しえているのか、なお残されている課題は何か、というようにおのれ自身をふりかえることなしには、さらにさらにスターリン主義と主体的に対決するぞ、と決意を新たにすることはないであろう。
 同志黒田が『現代における平和と革命』の「改版あとがき」で、社会主義論・過渡期社会論・ソ連論の骨組みを展開した最後に書いていることを想い起こすべきである。
 「⑨ ソ連社会主義を超克するための基本的骨組みは、おおよそ右のようなものであるとしても、さらに次のような理論的諸問題が考究されなければならない。――一九三〇年代に提起されたプレオブラジェンスキーの過渡期経済論、オストロヴィーチャノフの「変容された価値法則」論、一九五〇年代にたたかわされた「価値と価格」をめぐる論争、一九六〇年代の「利潤」論争や管理制度の改革政策にかんする論争、一九七〇年代の所有形態にかんする論争などなど。
 たしかに、ソ連邦は現実に崩壊した。けれども、ソ連邦の政治経済構造が破綻しなければならなかった外的および内的根拠を分析することも、また種々の論争をマルクス経済学の見地から総括することも、なおわれわれのなすべき課題としてのこされているのである。」(二八九~九〇頁)
 ここで提起されていることを鏡として、おのれ自身をふりかえるべきではないか。私自身は、スターリン主義をその根底からのりこえていくための理論的作業をなに一つと言っていいほどおのれがなしえていないことを自覚し、このおのれを突破していくために、現代ソ連邦が自己解体した、その理論的根拠を根底的にえぐりだしていくことを自己の任務とし、ここで提起されているようなことを一つひとつやっていく努力をつみかさねてきたのである。私以外の誰が、同様の努力をやっているのか。「解放」紙上および『新世紀』誌上に掲載されたものとしては、私の一つの論文以外には、そのようなことがらを追求した論文は一つもない。戦時共産主義政策が破綻したうえでのそれを弥縫することに腐心したトロツキーを美化する理論的作業は、このような努力のたまものとはいえない。それは、ソ連邦が崩壊した根拠をえぐりだす、という実践的立場にたっていない筆者の所産である。私以外の者が書いた論文であるならば、紙誌上に掲載されるであろう。何も掲載されていないということは、誰も何もやっていない、ということである。ソ連邦が崩壊した根拠をえぐりだすことにかかわる何らかのことがらをテーマとした論文がでない、というだけではなく、スターリン主義そのものに言及することそれ自体がほとんどなくなってしまった。いやむしろ、私の原稿を無視し捨て置き、そして抹殺することを画策しているだけである。
 自分自身がスターリン主義との主体的対決を放棄しているがゆえにこそ、〈反スターリン主義〉を「スターリン主義負の遺産の超克」なるものにすりかえたのである。自分自身がスターリン主義との主体的対決を放棄しているがゆえにこそ、われわれが眼前にし弾劾しているところの今日の中国を「ネオ・スターリン主義」と意味付与し、あたかも自分自身がスターリン主義と主体的に対決しているかのようにみせかけたのである。
 レーニンが死んだその年一九二四年の暮れにスターリンは「一国社会主義」論を提起し、これに反対したトロツキーをば国外に追放したうえに自分の手下を使ってその脳天をピッケルでたたき割り殺した。それ以降、一九九一年にソ連邦が崩壊するまで、スターリン主義党=国家官僚どもは、経済建設の破綻ののりきりにのりきりをかさねてきた。一九二四年から数えるならば七〇年近くにわたる経済建設、その総括を、――この総括をほりさげるためにさらに下向しかつ歴史的にさかのぼるならば、一九一七年のロシア革命以降七〇余年わたる経済建設の総括を――われわれがおこなわなければならないのである。われわれがこれをおこない、その内容を提起し物質化していくことなしには、全世界の労働者たちに、スターリン主義に主体的に対決していくことをうながし、彼らをプロレタリア世界革命の主体として組織していくことはできないのである。スターリン主義の本質は「一国社会主義」のイデオロギーであると語っていればそれですむ、というわけにはいかないのである。われわれはスターリン主義をのりこえた理論をすでに創造した、われわれの今日の課題は全世界の労働者にスターリン主義に主体的に対決することをうながすことだ、とするわけにはいかないのである。
 経済建設の総括は、実践を規定した理論の総括、および、理論に規定された実践そのものの総括、という二つの角度からおこなわれなければならない。一定の領域のことがらを一定の角度から総括することを、われわれは一歩一歩おこなっていかなければならないのである。
 だが、わが組織はまさに危機にある。
 植田論文では次のように書かれている。
 「われわれの組織は、形態的にはピラミッドをなすのであるが、本質的には上下も左右もはっきりしない球体をなすのであり、実体的には板状をなすと言ってもよいほどなのであって、このことの自覚が党組織建設に日常的に生かされなければならないのである。
 わが組織は、いわば「上意下達」の組織ではないのであって、タテにもヨコにもナナメにも、活発な同志的交通関係がつくられなければならない。それゆえに、われわれの内部思想闘争は、つねに活発であるとともに、歪んだものや淀んだものにたいしては厳しくあらねばならない。けれども、わが組織は、よく晴れた空と爽やかな風と温かい日差しの温もりに包まれた組織でなければならない。そうでなければ、わが組織を将来社会の母胎とすることはできないのだからである。」
 だが、このことは、もはや、今日のわが組織には貫徹されていない。考えてもみよ。「スターリン主義負の遺産(の超克)」論をめぐってどのような論議をおこなってきたのかをなに一つ明らかにすることなく、突如として「ネオ・スターリン主義」というシンボルをうちだし、これについての説明もしない、というのは、組織内思想=理論闘争を活発に推進する、というものではない。過去において、われわれがわれわれのおかした誤謬にかんして、組織内部において論議することを基礎にして、機関紙誌上においても諸論文や諸反省文をどのように掲載してきたのか、ということと対比するならば、このことは明らかであろう。しかも「スターリン主義負の遺産の超克」論にたいする私の批判にはまったく何も答えてはいないのである。
 いまこそ、わが組織のこの現状を突破しなければならない。植田論文に書かれていることがらを、わが組織に蘇らせなければならない。
           二〇一三年一月一日

現段階における〈反帝国主義・反スターリニズム〉世界革命戦略

 〔以下に掲げる文章は、二〇〇八年に私が執筆し、わが探究派の結成とともに、われわれの世界革命戦略としてきたものである。これは、現段階における〈反帝国主義・反スターリニズム〉世界革命戦略をなす、ということができる。この文章は、二〇〇八年に私は内部文書として提出し討論を要求したにもかかわらず、当時のわが組織指導部は無視抹殺し、それ以降、沈黙を守ったままのものである。
 この文章の展開に照らすならば、彼らの、「中国=ネオ・スターリン主義」という規定の誤りも、彼らが〈反スターリニズム〉戦略(〈反帝国主義・反スターリニズム〉世界革命戦略の一契機としてのそれ)を破棄したことも、白日のもとに明らかとなる。
 「革マル派」現指導部よ。世界革命戦略にかんするわれわれとのイデオロギー闘争から逃げるために、われわれに「反革命」という非難を投げつける、というのは、あまりにもみすぼらしいではないか。
 下部組織成員諸君! この文章に主体的に対決せよ!
       2022年8月2日   松代秀樹〕

 


 現段階における〈反帝国主義・反スターリニズム〉世界革命戦略 

 二十一世紀現代世界はいまや〈米・中露新対決〉の様相を呈している。「一超」軍国主義帝国アメリカと対立している中国およびロシア、これらは、一九九一年の現代ソ連邦の自己解体とソ連圏の崩壊というかたちであらわとなったスターリン主義の破産、破産したこのスターリン主義ののりきり形態、破綻したスターリン主義の転化した形態にほかならない。
 中国スターリン主義官僚専制国家が「改革・開放」という名の資本主義化政策を貫徹してきたことをとおして、この国の政治経済構造は中国型の国家資本主義に変質した。土地の「公有制」を名目上保持したうえでのその使用権の売買や国有諸企業の株式制企業形態への改編などを要因として、これまで外資導入を出発点に形成されてきた商品=労働市場(資本市場をふくむ流通部面)にあらゆる生産部門のあらゆる生産過程があみこまれたことのゆえに、スターリン主義的官僚制計画経済の構成部分をなしていた諸企業、その生産過程の主客両契機は資本の定有という規定をうけとり、国有諸企業は国家資本となったのであり、経営官僚は生産諸手段の人格化たる資本家的経営者に転化するとともに、労働者はみずからの労働力を商品として売る賃労働者に転化したのである。中国国家の実体的基礎をなす中国共産党、この党の官僚がこの党のイデオロギーを「三つの代表」論にしめされるものへと変質させたこと、およびこの党の構成実体(党員)である企業経営官僚が資本家的経営者へとその社会的存在形態を変えたことに規定されて、この国家は資本家階級の利害を体するものへとその階級的性格を変えたのである。
 階級的性格を変えてきたこの国家は、みずからの暴力をもって資本の根源的蓄積をおしすすめた。スターリン主義党=国家官僚や地方の党=行政府官僚の農業政策の破綻と徴税というかたちでの収奪に苦しめられ生活できなくなった農民は、沿海部の都市に流入し、帝国主義諸国やアジアの資本主義諸国の諸企業から資本を導入して設立された合弁企業などに低賃金で雇われてタコ部屋におしこまれ過酷な労働を強いられた。「農民工」と呼ばれるこうした出稼ぎ農民は二億人にのぼった。また諸企業を誘致したり設立したりすることを目論んだ各級の行政府によって土地を暴力的に奪われたいわゆる「失地農民」は五〇〇〇万人におよぶ。農民から土地を収奪してその「使用権」を売るという〝事業〟をはじめとして経済的諸行動をおこなう地方の党=行政府官僚は、資本の人格化たるの意義をもつ。また彼らは自己の地位を活用して自分の息子や一族の誰彼を私営企業の経営者に育てあげた。
 いまやスターリン主義官僚とその一族が資本家階級に転化したのである。専制的支配体制をとる中国国家がそれの利害を体しているといえる資本家階級、その中核的部分を、党や国家や地方行政府や国有企業などの官僚という政治的獅子の皮をつけた汚らしい生身の人間どもとその一族郎党が占めているのである。党=国家官僚そのものは、この階級を統率し指導するものとして、国家意志を体現する政治エリートとして、「社会主義市場経済」とか「科学的発展観」とかという独自のイデオロギーを国家統合の手段たらしめ、この階級のうえに君臨しているわけなのである。
 ロシアにおいては、FSB(連邦保安局)=旧KGBを実体的基礎とした強権的=軍事的支配体制が確立されている。FSB型国家資本主義というべき政治経済構造を物質的基礎として、この国家はすでに資本家階級の利害を体現するものとなっているのである。一九九〇年のゴルバチョフソ連大統領就任は、このスターリン主義大統領制国家が「調整される市場経済への全面的で加速的な移行」という政策をうちだし実施したがゆえに、この国の政治経済構造が官僚制国家資本主義に変質した結節点をなす。このことはまた、一九九一年のソ連邦の自己解体の根源をなす。
 「生産諸手段の所有形態のプルラリズムとこれにもとづく経営形態の多元化は、――「個人的労働」のばあいをのぞいて――諸企業の管理部を資本家的経営者に転化させるとともに、労働集団の担い手たちを賃金労働者に転化させることになる。スターリニスト官僚制国家における管理部と労働集団との「労働契約」は雇用・被雇用の関係に転化する。これは、資本家的経営者または官僚資本家と彼らに雇用される労働者としての賃労働者たちとの関係であって、ここに企業内労働市場が成立している。」(黒田寛一『死滅するソ連邦』こぶし書房、一九九一年刊、三二八頁)
 「いまやスターリン主義国家の国家フォンドは解体されて、――リース制による私的=集団的占有という形態においてであれ、買収による私的または集団的所有という形態においてであれ、株式制という所有形態においてであれ、――資本という形態規定をうけとり、自己増殖する価値に転態したのである。私的小生産者・私的小経営者であれ、コーペラーツィア型労働集団であれ、また株式制企業であれ、軍産コンプレックスのような国営企業であれ、それらが所有する生産諸手段は、いまや資本の定有となる。そして、資本の定有としての生産諸手段は、この生産諸手段を使用する私的生産者ないし労働集団を前提し措定する。生産諸手段を賃借りないし買収した主体としての労働集団および小生産者をのぞいて、生産=企業の主体ではないところの労働集団の個々の担い手としての労働者は、自己の労働力を商品として販売する賃金労働者に転化する。
 他方、賃金労働者からなる労働集団に対立するところの、企業長(または支配人)を中心にした管理部は、生産諸手段の人格化としての資本家的経営者に、あるいは官僚資本家に転化する。」(同前、三三三~三四頁)
 ソ連邦を解体したうえで、ロシア大統領エリツィン帝国主義諸国の新自由主義的諸政策を模倣して「国有企業の民営化」を中軸とする資本主義化政策を実施したことは、官僚資本家やマフィアや外国資本と結託した新興ブルジョアどもの、国有財産の強奪にもとづく急成長とロシア経済の破綻をもたらした。この危機を突破するために、自分に対抗するオリガルヒ(新興財閥総帥)を弾圧し、自己の配下の旧KGBを担っていた者どもを、国有形態に再編した基幹的諸企業の経営にあたらせるとともに、国家諸機関をこれらの者どもでもってかためたのが、「国家に統制された市場経済」を標榜するプーチンなのである。
 これら中・露と対立する帝国主義諸国家、その政治経済構造もまた変貌をとげた。ソ連邦の自己解体とソ連圏諸国の政治経済構造の変質を外的条件とし、一九八〇年代初頭にネオ・ファシズム支配体制を確立した帝国主義諸国家の新自由主義的諸政策の貫徹および階級闘争の変質=消滅を内的要因として、現代帝国主義の政治経済構造をなす国家独占資本主義は形態変化した。アメリカン・スタンダードのグローバルな貫徹のもとでのマネー・ゲームの横行、「リストラ」という名の・不採算部門の切り捨ておよび直接的生産過程の合理化そして事務部門の人員の削減、雇用形態および勤務形態の改変、賃金の大幅な切り下げ、さらに「利益団体」と断罪しての労働組合の破壊、これらのゆえに、下へ下へと労働者階級の階層的な分化がおしすすめられ、膨大な極貧層がうみだされた。それ自体、スターリン主義者に、また社会民主主義者に、そして労働貴族どもに指導された労働組合は、あるいは破壊され、あるいは企業組織体にあみこまれ、労働者階級は総じて過酷な労働と貧困につきおとされたのである。諸製品の多様な性能や形状、生産する数量や時期などを市場の動向に適合したものとするためにコンピュータを駆使するという以外にはきわだった技術革新をおこないえていない諸独占体は、生産の拡大にともなって必要となる労働量を、労働者たちに超長時間・超強強度の労働を強いるというかたちで確保し、かつ徹底的に賃金を切り下げることをとおして、資本の過剰が露呈することを回避してきたのである。アメリカ型のカジノ資本主義は、こうした上から叩いただけの土手に咲いたあだ花にほかならない。
 これらのゆえに、帝国主義諸国家権力(帝国主義陣営に属していたすべての国の国家権力)を打倒するとともに中・露をはじめとしてソ連圏を形成していた諸国の国家権力を打倒することが、あるいは旧ソ連圏の諸国の国家権力を打倒するとともに帝国主義諸国家権力を打倒することが、全世界のプロレタリアートの普遍的課題をなすのであり、この普遍的課題を実現するためには、スターリン主義の破産の根拠を、したがってスターリン主義そのものの問題性をえぐりだし、スターリン主義をのりこえる内容をもって全世界のプロレタリアートイデオロギー的および組織的に武装することを基礎としなければならない。まさに、現段階における革命的プロレタリアートの世界革命戦略は〈反帝国主義・反スターリニズム〉なのである。この世界革命戦略、すなわちソ連邦の自己解体以降の現代世界を物質的基礎とする世界革命戦略は、帝国主義陣営とスターリン主義陣営との角逐を物質的基礎にして解明されたところの〈反帝国主義・反スターリニズム〉世界革命戦略を本質論とし、それの現実形態論として明らかにされなければならない。
 一九一七年のロシア革命によって世界革命への過渡期が切り拓かれた。けれども、革命ロシアの孤立・ロシアの経済的後進性・ヨーロッパ革命の挫折にもとづく世界革命の遅延などを物質的基礎としてうみだされたスターリン主義、「一国社会主義」のイデオロギーをその本質とするスターリン主義によって、樹立された労働者国家とその政治経済構造は変質させられた。革命ロシアのこのスターリン主義的変質を要因として、すなわち、ソ連「一国社会主義」の防衛と建設の自己目的化、これにもとづくソ連中心主義体制の確立(インターナショナリズムの破壊とコミンテルンスターリン主義的疎外)、ソ連「一国社会主義」の防衛への各国階級闘争の従属化、資本主義各国の革命戦略・戦術の誤謬とジグザグにもとづく革命闘争の裏切りと敗北、これらのゆえに世界革命の過渡期は固定化されたのであった。「一国社会主義」論をイデオロギー的支柱とする、ソ連およびソ連圏諸国の官僚主義的国家計画経済は、諸矛盾を蓄積させ、弥縫を重ねたすえに、ついに破綻したのであった。現代ソ連邦の自己解体とソ連圏の崩壊の根拠は、まさにここにある。このゆえに、一九一七年から一九九一年までの七十余年にわたるソ連における経済建設の総括を、すなわちスターリン主義的な官僚制計画経済の問題性と誤謬を徹底的にえぐりだす作業を、われわれはなしとげなければならない。これなしには、すなわちスターリン主義の破産の根拠をその根底からあばきだすことをぬきにしては、共産主義社会(その第一段階と第二段階の両者をふくむ)への過渡期にある社会の経済建設をどのようにおしすすめていくべきなのかを明らかにすることができないからであり、全世界のプロレタリアートを、とりわけ一九九一年を結節点として「二重の意味で自由な労働者」=プロレタリアにつきおとされた旧ソ連圏の民衆を、階級的に組織化していくことはできないからである。
 その内実が変質した党に君臨してみずからの支配を貫徹している今日の中国の党=国家官僚も、FSBを実体的基礎とする強権的=軍事的支配体制を敷いているロシアの国家権力者も、旧東欧諸国の転向スターリニストも、ソ連および自国の経済建設の破綻の根拠を、スターリン主義的な官僚制計画経済の誤謬にではなく、計画経済そのものにもとめ、「社会主義市場経済」だの「国家に統制された市場経済」だのという理由づけのもとに資本主義化政策を実施し、この政策の貫徹をつうじてその政治経済構造と国家そのものを独自的なものとしてつくりだしてきたのであった。旧ソ連圏諸国の今日の諸国家権力およびその物質的基礎をなす今日の政治経済構造が形成されたのは、じつに、スターリニストであった彼らが、官僚主義的国家計画経済の破綻の責任をマルクス共産主義社会論そのものにかぶせ、「市場経済」を経済再生の魔法の杖ででもあるかのように思い描いたがゆえである。帝国主義各国のスターリニストもまた同様に転向したのであり、彼らは修正資本主義をみずからの基本路線としているわけなのである。まさにこのゆえに、スターリン主義的な官僚制計画経済の誤謬をその根底からあばきだすと同時に、過渡期社会の経済建設をどのようにおしすすめていくのかを政治経済学的=実践論的に解明することが必要なのである。
 帝国主義陣営を形成していたところの帝国主義諸国およびその他の資本主義諸国においては、スターリニストは転向をとげ、転向スターリニストの党として存在し、階級闘争を修正資本主義の路線のもとによりいっそう歪曲している。それゆえに、各国の国家権力を打倒するためには、革命的プロレタリアートはこの歪曲をのりこえるかたちにおいて不断の階級闘争を展開し、かつ彼らの転向とその根拠をなすスターリン主義そのものの問題性をあばきだすイデオロギー的=組織的闘いをおしすすめることをつうじてこの党を革命的に解体し、反スターリン主義の前衛党を創造し確立することが必要なのである。この前衛党およびそれがリーダーシップをとってプロレタリアートヘゲモニーのもとに結成する革命的統一戦線を実体的基礎として、プロレタリア・インターナショナリズムにもとづいて、国家権力打倒の革命闘争は実現されなければならない。各国の国家権力の本質規定、それぞれの政治経済構造の特殊性の政治経済学的分析、階級関係および階級闘争の革命理論的分析などを基礎とし、これらと〈反帝・反スターリニズム〉戦略の適用との統一において、各国の革命戦略・組織戦術・戦術はうちだされなければならず、不断の階級闘争の具体的=個別的な闘争=組織戦術の解明に、そして革命闘争そのものの指針の解明に(革命闘争の主体的推進論は、革命闘争論的解明としてなされる)、〈反帝・反スターリニズム〉世界革命戦略を現実的に適用していくことが必要なのである。
 他方、ソ連圏を形成していた諸国の国家権力を打倒する革命の戦略・組織戦術・戦術の解明、および不断の階級闘争の指針の解明にも、〈反帝・反スターリニズム〉世界革命戦略は現実的に適用されなければならない。これらの国の革命戦略・組織戦術・戦術は、中国、ロシア、旧東欧諸国などの諸国家権力の具体的分析にもとづいて、それぞれ明らかにされなければならない。
 中国においては、スターリン主義官僚専制国家がその暴力をもっておしすすめてきた資本の根源的蓄積過程、これをつうじてうみだされ形成されてきたプロレタリアートは、変質した中国共産党を実体的基礎として成立している専制権力を打倒するために、党=国家官僚や地方の党=行政府官僚やまた国有企業の資本家的経営者、そして私営企業の資本家などの支配と抑圧と搾取にまっこうからたちむかう階級闘争を断固として推進すると同時に、この闘いのただなかにおいて、また独立に、こうした党と国家の変質の根拠をなすスターリン主義の破産を、スターリン主義そのものの問題性をあばきだしこの党を解体するイデオロギー的=組織的闘いをおしすすめ、これをとおして反スターリン主義の前衛党を創造し確立しなければならない。帝国主義諸国のプロレタリアートとのインターナショナルな連帯のもとに、世界党を構成するこの前衛党を実体的基礎としてプロレタリアートを階級的に組織化しかつ農民をも結集してソビエトを結成し、このソビエトを主体として国家権力打倒の革命闘争を実現するのでなければならない。
 ロシアのプロレタリアートは、FSBを実体的基礎とした強権的=軍事的支配体制という形態をとっている国家権力――スターリン主義官僚の転化した部分が中軸をなす資本家階級、その利害を体現している国家権力――を打倒するために、この国家による強権的支配と国家資本主義のもとでの搾取に抗する階級闘争を展開するとともに、その前提において、その過程において、そしてその結果において、革命ロシアを歪曲し変質させてきたところの、そしてアンチ革命に転じたところのスターリン主義を徹底的にあばきだし、かつスターリン主義をのりこえる内容を組織的に物質化し、これをつうじて反スターリン主義の前衛党を創出するのでなければならない。この前衛党のリーダーシップのもとに、スターリン主義官僚が形骸化させそして破壊したソビエトを真実のそれとして新たな地平において再組織化し、このソビエトを実体的基礎とするプロレタリアート独裁権力をうちたてなければならない。
 旧東欧諸国(そしてまたロシアとともに旧ソ連邦を構成していた諸国)においては、基本的には、一方では、支配階級をなす資本家階級のなかの・スターリン主義官僚が転化した部分、これの利害を体現する転向スターリニストの党が、他方では、資本家階級のなかの・帝国主義諸国の独占資本家どもと結びついた部分、これの利害を代弁する諸政党、およびその他の諸政党が形成され、いずれかの政党が中心となって権を掌握しているのであって、それぞれの国家権力の本質規定および実体的諸規定を基礎にして、これと〈反帝・反スターリニズム〉戦略の適用との統一において、各国の革命戦略・組織戦術・戦術が明らかにされなければならない。
 まさに、われわれの現段階における〈反帝国主義・反スターリニズム〉世界革命戦略は、帝国主義陣営を形成していた諸国の内部でも、また旧ソ連圏の内部でも、「プロレタリア・インターナショナリズムを主体的および組織的根拠として、永続的に完遂されなければならない。」(黒田寛一『日本の反スターリン主義運動 2 』こぶし書房、一九六八年刊、二六八頁。――本書の「〈反帝・反スターリニズム〉戦略の必然性とその構造」参照)
               二〇〇八年初頭

コロナ危機のもとでの反スターリン主義の再創造(その2)

『コロナ危機の超克』

( プラズマ現代叢書Ⅱ 松代秀樹 椿原清孝 編著 2020年11月刊行 )

 

探究派の批判を沈黙でのりきることができず、悲鳴をあげた「革マル派」現指導部

 「解放」第2729号に「革マル派」現指導部は「反革命=北井一味を粉砕せよ!」という許しがたい文書を掲載した。これは、彼らが、われわれ探究派の批判にたえきれず、これからのがれたいがためにあげた、悲鳴である。
 彼らは、西側帝国主義の手先であるゼレンスキー政権とそのウクライナ軍を、ウクライナ民族がまるごと「祖国防衛」の戦争をたたかっているものとして、とらえて肯定している。この把握は、ゼレンスキー政権がウクライナ支配階級の政権であり、この支配者の政権がウクライナの労働者階級・人民を動員しロシアとの戦闘に駆り立てているのだ、という把握もないものである、とわれわれは批判した。そして、そうなるのは、彼らが今や祖国防衛主義=ブルジョア民族主義に転落しているからだ、とその根拠をあばきだしてきたのである。さらに、彼らは、プーチンスターリンの末裔としてえがき、これに反対することをもって<反スターリン主義>とするまでに、彼らの<反スターリン主義>の内実は変質している、とわれわれは、つきだしてきた。こうした批判によって学生をはじめとする下部組織成員から「革マル派」現指導部にたいする疑問と批判が陰に陽にうずまいているのである。このことは、われわれのブログによせられてきている共感から、よくわかるのである。まさしく、これは、現指導部が、プロレタリア・インターナショナリズムを完全に放棄していることにもとづくのである。彼らは、いまや、ゼレンスキーに武器を供与することに積極的でないとみなした西側帝国主義諸国権力者に、「国家エゴイズムだ」と平然と非難しているのである。これは、彼らがウクライナの労働者階級や西側諸国、なによりも日本の労働者階級にたいする信頼をうしなっていることを最深の根拠とするのであり、この言辞は、西側帝国主義諸国権力者と一体となり、反ロシアの排外主義の立場にたって、ロシア軍を粉砕せよと叫ぶにひとしいのである。これほどまでに、現指導部は腐敗しているのである。このように民族主義へ転落した己をわが探究派から批判され、下部組織成員や学生、労働者から「階級的立場を失っているではないか」と批判や疑問をなげられていること、これを排外主義的にのりきるためにこそ、彼らは、今回のゆるすことのできない文章をだしたのである。
 それだけではない、彼ら「革マル派」現指導部はわが探究派の『松崎明黒田寛一、その挫折の深層』を、「反革命の書」といいなしている。これが、いかに、腐敗した者どもの、白を黒といいなす言辞であるか、ということは、この本を、革命的マルクス主義者たらんとする者が手にとって読めば、たちどころにわかるものなのである。なによりもこの著書に掲載されているすべての論文は、同志松代をはじめとする探究派の同志たちが、まさしく場所的現在において苦闘する労働者階級を階級的に組織するために、松崎明黒田寛一の営為を受け継ぎ、そしてのりこえていく、という立場にたって明らかにしたものなのであり、この実践的で自己否定的な立場にたつがゆえにこそ可能となっている追求なのである。
 われわれがこのような立場にたっていることをまったく理解できず、こうした追求とは無縁な地平において、ただ、おのれの「革マル派」官僚としての保身にもとづき、黒田寛一を無謬の指導者として崇拝するものへと組織成員の主体性を破壊して延命することを企てている者であるがゆえに、彼らが吐いた言辞が、「反革命の書」なのである。前原茂雄と片桐悠は、もしも自分が労働者同志たちを指導してきたという責任の一片でも感じるのであるならば、同志松代の自己批判的な切開をうけとめることが、ただ、なさなければならぬことなのである。「解放」の今回の腐敗した文章は、かの〇人組がシナリオを描き策したものであろう。これは、唯物論的に何かを分析する、ということとは無縁なしろものであり、ただ、われわれ探究派を「権力の走狗」と描くためには、どういうストーリーをつくればよいか、と頭をめぐらした悪意と自己保身に満ち満ちた物語である。この手口は、自己の破産を批判されて、その批判からただのがれ、組織諸成員をシンボル操作によってヒステリーにおとしいれ洗脳しようとする者の、常套の手法である。かつての「帝国主義の手先」や「K=K連合」というのが、それである。ついに、彼らは、スターリンや本多延嘉と同様の排外主義的手法をとったというべきである。彼ら「革マル派」現指導部を打倒するために、下部組織成員はみずからの主体性をかけるべきである。われわれは、最悪の腐敗した対応に手をそめた「革マル派」現指導部を打倒し「革マル派」組織そのものを革命的に解体=止揚するために断固としてイデオロギー的および組織的にたたかう決意を、あらためて明らかにする。
          (2022年7月29日   桑名正雄)

「反革命=北井一味を粉砕せよ!」と悲鳴をあげる「革マル派」現指導部を打倒せよ!

  「革マル派」現指導部は、「反革命=北井一味を粉砕せよ!」などと叫びたてた(「解放」最新号=第2729号2022年8月1日付)。
 これは、彼ら現指導部の悲鳴である。ロシアのウクライナ侵略をめぐって、彼らが、アメリカやドイツなどの国家権力者にウクライナへの兵器の供与を乞い願っているのは、みずからを西側帝国主義陣営の一翼として位置づけるものであり、プロレタリア的立場を喪失したブルジョア民族主義=反ロシア排外主義への転落であることを、われわれが完膚なきまでにあばきだしてきたことへの、恐怖と自己保身の悲鳴である。
 その紋章が、スターリントロツキーを断罪したレッテル=「反革命」をわれわれに張り付けたことにある。
 それは、みずからの労働運動の指導と組織建設の破産を排外主義的にのりきるためのものである。
 このように変質し腐敗した指導部を打倒し、「革マル派」組織を革命的に解体=止揚しよう!
 下部組織成員は、現指導部から決別し、わが探究派に結集せよ!

       ( 2022年7月27日 松代秀樹 )

コロナ危機のもとでの反スターリン主義の再創造(その1)

『コロナ危機との闘い』

    (プラズマ現代叢書 Ⅰ 松代秀樹 編著 2020年8月刊行)

加治川の「桑名論文批判」の質の悪さ

 加治川の『認識論探究ノート』に「Ⅳ 黒田寛一『社会の弁証法』天然資源の規定について(探究派論文批判)」が掲載された。この論文の「はじめに」はつぎのように始まる。
 「桑名正雄は同志加治川は一からやり直さなければならないというタイトルの文章を2020年8月16日の探究派ブログに載せた。そして、黒田さんの一論述への疑問をつけ加えて「マルクスとなるの論理をわがものとするためにコロナ危機の超克所収——以下超克と略す)と改題しておおやけにした。この論文で桑名は1993年に加治川が書いた「『となるマルクス的論理黒田寛一社会の弁証法を論難することを通して社会の弁証法につらぬかれているとなるマルクス的論理を破壊した。」
 つまり加治川はこの論文で桑名論文を批判するというのである。では、この論文で加治川はどのように批判を展開しているのか、と私は期待した。すると、まず最初は「労働するなかで考えた」という記述からはじまるのである。「1990年当時、加治川は合板製造工場で働いていた。」とはじまり、ながながとその経験談が語られている。だが、加治川は、桑名論文を批判するというのであれば、次のことを批判しなければならないのである。桑名論文で、私は、加治川をこう批判した。「となる」のマルクス的論理を観念論的に解釈している、それが加治川の根本的な理論的・思想的な錯誤である、と。だから、このことを加治川はどう受けとめるのかを論じなければならない。桑名論文を批判するというのならば、この核心問題を批判しなければならないのである。この一点でよいのである。しかし、加治川は、それをしないし、できないのである。このことが、この論文の特徴である。


 桑名論文の核心は『超克』134頁の展開である。
 「マルクスの頭の中の一切のものは、概念作用によって、頭の中の労働対象となる、というのだからである。すべては、頭の中での出来事なのだからである。いや、加治川が労働対象として措定されるというばあいには、この措定が観念的措定であるのか、物質的措定であるのか、ということが、混然一体となっているのである。すなわち、労働対象となる、ということが、頭の中での出来事なのか、それとも現実の出来事なのか、ということが、加治川には自分自身でも、わけのわからないものとなっているのである。
 もしも、この措定を観念的措定と理解するならば、加治川は、マルクスとなるの論理を意識場の論理として解釈しているのであり、論述する加治川は、最後の最後まで、頭のなかのことがらの解釈から一歩も出なかった、ということになる。もしも、この措定を物質的措定と理解するならば、加治川は意識場の対象面は、主観の概念作用によって、意識場から現実場に飛び出し、物質的なものとなる、と解釈していることになる。いずれにしても、加治川は観念論なのであり、ヘーゲル主義なのである。」
 私は、このように批判したのである。桑名論文で加治川を批判した核心はうえのことなのである。


 加治川は2019年3月に辺見庸に思想的に感化され、おかしくなった。同志から批判されて、加治川は、反省するのではなく、「規定性の転換なのだ、俺はただ、辺見を装っただけなのだ」と自己弁明した。これは、弁明のようでもあり、じっさいに加治川がそのように思考しているというものでもあった。だから加治川が「規定性の転換」と考えていることそれ自体の観念性を批判するとともに、そういうように彼が基礎づけていることの根底にある、理論的で、思想的な根拠を、私は剔出したのである。その批判の俎上に載せたのが、加治川の「となるマルクス的論理」(はばたけ 革命的左翼!下巻所収 以降はばたけと略す)という論文である。その中の核心部分を批判したのが『コロナ危機の超克』の134頁の展開なのである。
 だから加治川は、この桑名論文への反批判をするのであれば、この134頁の展開で批判されていることにたいして反論しなければならない。その一点でよいのである。だが、加治川は桑名論文批判で、冒頭から、論点をそこにすえることなくズラしている。桑名論文の「三 黒田さんの一論述への疑問」にたいする反発と反論に、論文のほぼすべてを費やしている。これは、あいもかわらぬ加治川の政治主義的手法ともいえる。

  そのようにしたうえで、最後から4頁前になって、ほんのわずか、次のようにふれているのである。142頁に〔補注〕をもうけてつぎのように言っている。

 〔補注〕(認識論探究ノート142頁)において、加治川はどうごまかしているのか、これを暴く。

  加治川は、「桑名論文の第一章の誤りについて簡単に触れておく」、と語りながら次のように言う。
 「桑名の加治川批判にかんしては、加治川がマルクスの労働対象の叙述を認識論的にとらえかえしたものと加治川の「『となるマルクス的論理の展開とを二重うつしにしている、といっておけばここでは十分であるが、ひとこという。」…a
 「マルクス労働によって大地との直接的関連から引き離されるにすぎぬ一切の物は天然に存在する労働対象であると規定した。客観的実在Oとして意義をもつマルクスの意識においてあるO´としての一切の物はいわば……引き離されるにすぎぬという形容句で外的に意味を与えられているところの無規定のである。この無規定のO´としての一切の物に、天然に存在する労働対象であると限定する概念規定があたえられているのである。O´の物質的基礎としての一切の物は労働過程の場におかれているということが明確ではないからなのだ。」…b
 加治川が「ひとこという」などとして、自己の『はばたけ』の補足をするかのような物言いをしているわけだが、これが姑息なごまかしの手口である。は、『はばたけ』の論述を微妙に改変しているからである。
 『はばたけ』では、つぎのように加治川は論じていた。
 「このとき【引き離されるにすぎぬ一切の物マルクスが叙述したとき】のマルクスの意識にあるO´としての一切の物が妥当するところの実在する物はなおソコ存在する自然物にすぎない」、と。つまり、「る」と展開するのでは「一切の物」の物質的基礎は「ソコ存在する自然物」なのだ、と加治川は断定していた。加治川は、なぜそう断定するのかの根拠を論じるために、マルクスの意識場なるものを設定し、その意識場なるものの解釈を、こねくり回していたのである。「一切の物は意識の場において、天然に存在する労働対象であると限定する概念作用をうけることによってはじめて」「労働対象として、措定されるのだからである」というようにである。これは、「一切の物」の物質的基礎を、労働対象となっているものではなく、「ソコ存在する自然物」であると断定しうる根拠を論じるためであった。そこで、加治川は次のように論じているのだからだ。マルクスの意識場の「一切の物」が労働対象として措定されるのは、マルクスが意識場において、それは「天然に存在する労働対象である」と概念で規定することによってはじめて、そうなる。だからして、そのマルクスの意識場の「一切の物」の妥当する物質的基礎そのものは、「労働対象として措定され」ておらず、労働過程の場におかれていないのだ。このように加治川は、『資本論』の叙述の物質的基礎を、なんとしても「ソコ存在する自然物」だ、とみなさなければならなかったわけなのである。それは、「る」を「た」に黒田さんが変えた理由を加治川が自己流に解釈したものを、とにもかくにも正当化する、ただ、そのためだけにである。
 ところが、加治川はつぎのように〔補注〕で、こっそり改変している。マルクスの意識場の「一切の物」は「無規定の」であり、この「一切の物」の物質的基礎は「労働過程の場におかれているということが明確ではない」、と。『はばたけ』で加治川はこの『一切の物』の物質的基礎は「ソコ存在する自然物」だ、と断定していたのではなかったか。だが、加治川は「ひとこと」言うと称して、このような改変をほどこし、そうすることによって、「一切の物」の物質的基礎が、労働過程の場になげこまれている、とも、投げこまれていない、すなわち「ソコ存在する自然物である」とも、判断しなくてよいようにしというわけである。『はばたけ』の論述をこっそりとひっこめた、のである。
 なぜ、加治川はそうしたのか。そもそも、加治川は、マルクスの言う『一切の物』は労働過程の場にはない、というようにマルクスに難癖をつけたので、では、現実場において労働過程におかれていない、ソコ存在する自然物を、どのようにマルクスは「労働対象として、措定」するのか、そのことを根拠づける必要があったわけである。その必要に迫られてその根拠づけをやったら、桑名に、それはヘーゲル主義だ、観念論だ、とコテンパンにやっつけられてしまったのである。そこで、加治川は、その根拠を論じることをやらないでもすむようにしたかった、ということなのである。つまり、そういう根拠を論じる必要がうみだされる前提それ自体を、こっそりとひっこめた、というわけなのである。こうして、加治川は、aをみればわかるとおり、桑名論文にたいしては、あれはマルクスの叙述を認識論的にとらえたものであり、それを私(=加治川)の主張と二重写しにして批判しているのは的外れだ、と、あたかも、『はばたけ』の展開は問題ない、と護持しているようにみせかけ、ただ、「ひとこと」補足するというような形をとる。ところが、その「ひとこと」の内実は、桑名論文で批判された核心の部分を、改変するものなのである。こうしたなしくずし的なやり口が、このような小さく〔補注〕を設けたことのからくりなのである。

   ところで、加治川は『ノート』130頁で、桑名論文で批判されたことを念頭において、すこしばかり、弁明的なことを書いている。引用する。
 「なぜなら、O´としての一切の物は、意識の場において天然に存在する労働対象であると限定する概念作用をうけることによってはじめて、人間にとって生活諸手段となる実在的可能性をもつところの労働対象として措定されるのだからであるここはマルクスの意識場にかんして論じているのである」。(下線は引用者による)
 そうすると、桑名論文で批判したように、加治川は、この「措定」は、マルクスが意識場で観念的に措定した、ということになる。すなわち、加治川は、マルクスの「となる」の論理を、意識場の論理として解釈しているのであり、論述する加治川は、最後の最後まで、頭のなかのことからの解釈から一歩もでなかった、ということなのである。どうやら、加治川は、マルクスの意識場においてその対象面が主観による概念作用によって、観念的に労働対象として措定される、と解釈する限り、何も問題はない、と考えているらしい。意識場で対象が「労働対象として措定される」というように解釈していられるのは、なぜか。加治川は、マルクスの叙述が「る」となっているのはおかしい、と、難癖をつけたいがために、現実場と無関係に意識場でその対象面が労働対象として措定される、と解釈してしまった、ということなのである。だが、そもそも、物質的な対象である何かが労働対象となる、という論理は、現実場において物質的な対象が労働過程に投げこまれることによって、それ独自の規定性をうけとる、という論理であり、実践の存在論なのである。どうやら加治川は、実践主体が認識主体として何かを労働対象として概念規定する論理であるかのように考えているフシがある。だが、それは、「となる」の論理とは、理論の対象領域もアプローチも異なるのである。だが、たとえ、このように加治川が理解しているのだとしても、この加治川の解釈は対象を概念的に規定する、とさえなってはいない。対象となるものは、たんなる自然物であり、それを概念的に規定したものが「労働対象である」となってしまうのだから。そもそも加治川は物質的対象(一切の物)は、労働対象となっていない、たんなる自然物だ、と『資本論』の当該箇所を言うのであるから。だから、もはや、加治川がマルクスに難癖をつけることによって、思わず自分の観念論的な本性を露呈してしまった、という以外にないのである。

   加治川がこうなるのは、マルクスが物質的対象を分析したのだ、というこの出発点を彼が欠落させているからである。同時に実践主体であるところの認識主体たるわれわれと、われわれが分析する対象たる物質的現実という、主客の物質的=認識論的な関係をぬきにして、意識場なるものをアプリオリに設定し、これを解釈していることが、加治川がヘーゲル主義=観念論におちいる最深の根拠なのである。
 マルクスが物質的対象を分析して、「それは天然に存在する労働対象である」と規定したのだから、その物質的対象は、労働主体がそれに働きかけ、いままさに大地から引き離そうとしている物質的なものであることは明らかなのである。それは、いままさに餌に食いつこうとしている魚なのであり、いままさにつるはしがうちおろされる石炭層なのである。マルクスは、この臨場感を「労働によって大地との直接的関連から引離される」(『資本論』第一巻、青木書店版、長谷部文雄訳、331頁——下線は引用者)と表現したのだ、と私は考えるのである。

   加治川は、ただ、「る」と「た」の違いなるものを、マルクスの展開の脈絡とも黒田さんの論述の脈絡とも無関係に自己流に解釈し、その解釈論が『はばたけ』に掲載されたということをもって、理論的に認められた、と思いこみハイマートとしているだけの俗物となった。桑名論文によって、この自己流解釈が、ただ、マルクスに難癖をつけようとして、自らのヘーゲル主義的、観念論的な錯誤を露呈させたものである、ということを批判されたのであった。にもかかわらず、加治川は、真面目に反省しない。すでにあきらかにしたように、加治川は、自己の論述をこっそりと改変し、なしくずし的にごまかすことにうつつを抜かしている。反省しない者はこうなるのである。
          (二〇二二年七月七日 桑名正雄)