♪♪主体性忘れた革マル   

♪♪歌を忘れたカナリア♪♪
        作詞・作曲  西條八十・成田為三

 

 ①歌を忘れたカナリアは        ②歌を忘れたカナリアは 
  うしろの山にすてましょか        背戸(せど)の小薮に埋(い)けましょか
      いえ、いえ、それはなりませぬ     いえ、いえ、それもなりませぬ
 
 ③歌を忘れたカナリアは         歌を忘れたカナリア
    柳のむちでぶちましょか                 象牙の船に、銀の櫂(かい)
  いえ、いえ、それはかわいそう     月夜の海に浮かべれば
                     忘れた歌をおもいだす 
 
  
♪♪主体性忘れた革マル
                      替え歌作詞   集治水風  

 

 ①主体性忘れた革マルは  
  うしろの山に捨てましょか
  いえ、いえ、それはなりませぬ
 ②主体性忘れた革マルは  
  背戸の小薮に埋けましょか
  いえ、いえ、それもなりませぬ
 ③主体性忘れた革マル
  柳のむちでぶちましょか
  いえ、いえ、それはかわいそう
  
  主体性忘れた革マルは  
  木造の船に樫(かし)の櫂(かい)
  月夜の海に浮かべれば
  忘れた主体性おもいだす

  〔こぎ出すか 沈み込むかは あなたしだい〕

反スタ運動創造の出発点を理解できない「革マル派」!!

『物質の弁証法』(黒田寛一著作集 第一巻)
 「刊行委員会」は、「プロレタリア解放のために全生涯を捧げた黒田寛一」なる小論文において、「黒田寛一は、……ハンガリー事件」にたいして「『共産主義者の生死にかかわる問題』として対決した」と書いている。また、全く別のところでは、「……こうした営為を主体的根拠として」とのみ結果的に言うだけである。

 しかし、同志黒田は、「ほかならぬブタペスト労働者の武装蜂起というこの決定的な事態と真っ向からとりくみ、いわゆる〝ハンガリアの悲劇〟を共産主義者としてのおのれ自身の問題として主体的にうけとめ対決する――、まさにこの歴史的瞬間において、戦後主体性論の核心的なものが、スターリニズムの闘いへのバネへ転化された」「……それが共産主義者としての主体性であり革命的マルクス主義の立場にほかならない」と書いている。

 同志黒田の思想・哲学そのものを公然と破壊した彼らは、「まさにこの歴史的瞬間において、戦後主体性論の核心的なものが、スターリニズムの闘いへのバネへ転化された」、という同志黒田の「断絶と飛躍」を哲学することをしないのだ。

 さらに、この小論文では、次のことが欠落している。

 「この転換は、多面では同時に、スターリンとその徒党と敵対してきた左翼反対派の理論および実践を批判的に継承しながらわれわれ自身の革命論を、ソ連論を、さらに経済学を創造するという理論的格闘にも媒介されることなしには実現されえなかったのである。」(傍点〈このブログ上では太字にしました〉部分は、同志黒田自身が付したものである。)

 

 彼ら、「革マル派」官僚には同志黒田の次の言葉がふさわしい。

 

 「この革命的マルクス主義の立場の理解、その主体化がなされていないかぎり、日本における反スターリニズム運動の独自性も、その本質も、決してつかみとりえないのである。われわれの運動からの脱落分子がうみだされざるをえなかったということの最深の根拠は、まさにその点にあるわけなのである。」

 上記の同志黒田の引用文は、「革マル派」の人間であるならば、誰でも知っているはずのものである。一度は読んだことのある同志黒田の著書(『革命的マルクス主義とは何か?』《付録》 わが革命的共産主義運動の特質)からのものである。

 

 「革マル派」は、一刻も早く革命的マルクス主義派の看板を下ろした方がよい。                         
           (二〇二〇年一〇月二日 藤川一久)

「たった一人で」⁇ 「たちまちのうちに」⁇

黒田寛一がたった一人で既成の共産主義運動に挑み、たちまちのうちに日本の階級闘争を大きく造りかえた……」(黒田寛一著作集 第一巻 刊行委員会著五〇七頁)を読んで、私は、この筆者にたいして、怒りと絶望と悲嘆を感じた。多くの大事なことを捨ててしまっている。忘れられている。限られた誌面とはいえ、これはないだろう!!
同志たちはどこにいる⁇ この数行に昇華するにも、なんという結果解釈!!


 革マル派を結成してから、いや結成前から、多くの文人や労働者との論議を、内部思想闘争を、粘り強く、繰り広げ、創りあげてきたのではないか。未来を決する前衛党の組織論議の質を常に問うてきたのではないか。それぞれの闘いを通じた同志たちと同志黒田寛一との営為が、筆者の論述からは微塵も感じとれない。


 刊行委員会に名乗り出たメンバーらは、いま、ここで、なにをなすべきか、場所的立場に立って、革マル派に責任を持って論議を重ねた上で、これを論述したのであろうか。同志黒田寛一亡き後、革マル派組織を指導してきた内容と立場が問われているのだ。彼らは革マル派組織を存続させていくために、組織諸成員に求めることは何か。

 今や、一四年の歳月を経て、「偉大な先駆者」「世紀の巨人」として、深紅の墓石の中に安置した同志黒田寛一を、いよいよ祭り上げ、拝む対象にしようとしている。
そのために、「たった一人で」と唯物論を超えて強調し、「たちまちのうちに」と時空をこえた存在にしようというのだ。
       (二〇二〇年一〇月一日 赤木明理)

 

現代の魔窟  新たなカルト教団に転落せる 「革マル派」の無残を見よ!

 古代の日本においては、「大和朝廷」による領土拡張や異文化の人々(まつろわぬ人々)を征服するなどの事業に功績のあった人間(例えばスサノオなど)を神として祭りその神社を擁立し、人々をその信者に組み入れ、行事ごとに参拝させてきました。

  また、すでに全国を「大和朝廷」(神国日本)に組み入れて以降は、全国にその神社網が設立され、封建領主と一体化して人々をその支配下においてきました。そこでは新しい商売も神社の行事と提携しなければ成り立たないほどのものでした。

  なお、明治維新以降の戦前のある時期には「神道」を国家宗教化し、神社に携わる人間を「公務員」にすることすらやってきたのです。


 それはともあれ、今日すでに死した黒田を神に昇格させ、彼の著作集を刊行しはじめているということはこのような神社のやり口の猿真似ではないかと思います。

  しかも、神社が信者に〝現世利益〟をうたい、誘導するために〝お札〟や〝おみくじ〟を売りつけて金儲けしているところまで全く瓜二つの真似をしているといえます。
  ちなみに戦前には日本国内においてのみならず、アジア諸国に侵略するその際のシンボルとしても各国に「ヤマト」式の神社を設立し参拝を強制さえしてきたのです。まさにその侵略の象徴ですらあったと言えます。

  このような手口を彼らはどこで身につけてきたのでしょうか。
         (二〇二〇年九月三〇日  今出連太郎)

「 赤い闇 スターリンの冷たい大地で 」を観て

 この映画を観ようと思ったのは、ホランド監督の「ソハの地下水道」という彼女の監督した実話ベースの映画を数年前に観ており、安易な反共映画ではないと直感したからだった。


 映画は、レーニン亡き後の1930年代初頭。1929年発の世界大恐慌真最中の時代である。当時のソ連国内の実情は、昔の北朝鮮のようにベールに包まれており、主人公・ジョーンズ記者を含めて外国からの客は皆同じホテルに泊まらされた。別のホテルには泊まれないのだった。そこでは乱痴気パーティーが繰り広げられており、ピューリッツァー賞を取っている有名なニューヨークタイムズの記者もパーティーに興じており(国賓だったのだろう)、世界大恐慌の中のソ連の「繁栄」の謎はわからない。(そのニューヨークタイムズの記者はのちに「腹を空かせているが飢え死にしているわけではない」とジョーンズの記事を否定する記事をニューヨークタイムズに掲載。)「1984」を書いたオーウェルも「壮大な実験には犠牲はつきもの」とスターリンを擁護する。(のちには批判をして「動物農場」などを書いたのだが。)ジョーンズは、ここでは何もわからないと、ニューヨークタイムズ記者の部下からのヒント=「ウクライナ」の言葉を頼りにウクライナに出向く。そこで見たものは、列車に乗せて何処かへ運び出される大量の小麦袋、無口で、正気を失うしかなかった飢えた民衆。悪夢のような冬の町、飢えて死んだ人が、固くなった雪の上に倒れている。子どもの悲しげな歌声が流れるが、これは当時実際にあった歌の歌詞で、現在ではメロディはわからず映画を作るにあたり曲を付けたとのこと。モノクロに近い映像によく合っている。それらを目撃したジョーンズは変わっていく。監督は「真実と向き合うことで純粋無垢さを失う悲しい変化でもある」と言っている。しかし、私は、われわれは、残酷であろうと、歴史上起きた事実と向き合う義務がある、と強く思う。ジョーンズ記者を尊敬する。命がけで取材してくれたことに感謝する。


 北井信弘著『経済建設論』(西田書店)を手にとった。第一巻Ⅲ「現代ソ連邦の自己解体、その根源をなすもの」を読み、ソ連崩壊の根源が、スターリンによる農業強制集団化にあったことを理解した。スターリンの農民の扱いはひどいものだった。またスターリンは自分の命で動いた下部活動家をも裏切った。ウクライナだけでなく、北カフカス、ボルガ下流での農民の大量餓死。これは、反共のためのプロパガンダとしてではなく正しい歴史として皆が知るべきだと思う。(スターリン主義国以外の国でもそういった事実は沢山あるが。)

 スターリンの国家の価格=租税政策によって、農民だけでなく工業労働者も収奪された。1929年「階級としてのクラークの絶滅」指令が農業集団化の結節点、1933年の穀物の義務納入制で、農民からの収奪構造の確立。労働者たちが生き生きと労働に励むことがなくなったことは、自分がその立場であるというように想像すると、その気持ちがよく理解できる。旧ソ連の労働者たちは不幸だった。
 第二巻Ⅲ「マルクス主義のロシアへの適用」(創造ブックス刊『レーニンとロシア農民』「かえりみられなかったマルクスの手紙」も同じ)を読むと、ホロドモール(ウクライナにおける大量餓死)は、もしかしたら避けられたかもしれない、と考えた。
 「もし、ロシア革命が西欧のプロレタリア革命にたいする合図となって、両者がたがいに補いあうなら、現在のロシアの土地共有制は共産主義的発展の出発点となることができる。」(1882年『共産党宣言』ロシア語第二版序文)マルクスエンゲルスの言葉。
 マルクスの、女性革命家ヴェラ・ザスーリッチへの手紙の草稿にも、ロシアの資本主義化の特殊性の分析とともに、次の記載がある。―― ロシア社会の「全般的運動」の、全般的な蜂起のただなかでのみ「農村共同体」の局所的小宇宙性が打破されうる、ロシアの「農村共同体」は近代社会が指向している経済制度の直接の出発点となることができる、それは自殺することから始めないでも生まれかわることができる、との論述。


 もしマルクスが強靭な体質であって、もっと長生きをしていたら。レーニンマルクスの言葉をもっとしっかり受けとめていたら。そして、スターリンの異常性を早期に見抜き誰かがそれを封じ込めることが出来ていたら。簡単なことではないと思う。ソビエト連邦が、真に労働者の国になっていたら。あのように莫大な犠牲者は生まれなかった。餓死した人々、銃殺された人々、侵略された国々。
 でも、マルクスはロシアの農業について、しっかりと見通していたことを思うと、一筋の光が見えてくるのである。


 私の好きな作家のなかに宮沢賢治がいる。彼は岩手で困窮する農民に心を寄せていたが、「日本にはマルクス主義はなじみにくいと思う」と述べていた。一応マルクス主義を勉強しての言葉と思う。彼は警察に尾行されたこともあった。日本にはミールはなかったが、独特の農村社会があった。それを全部ちゃらにして新しい世界を作ることは無理があると思ったと私は推察する。しかし、それを活かしたうえでの革命がありうると知ったら、また違った意見を持ったのではないか。……などと夢想した。
      (二〇二〇年九月二九日 円奈々)

 

 

 

「 四角のB」について


 諸活動の総括を行う場合、大衆団体ならば経験主義的に結果オーライでもいいのですが、前衛党の内部論議ともなるとそうもいきません。戦略・戦術論、組織論と様々な理論を適用するでしょうし、新たな理論をつくらないと変革のための指針が出せない場合もあるでしょう。諸活動を総括するにしてもこれを一般化して理論化しなければ他への適用もできないでしょうし、秘密保持の観点からも必要です。この場合、諸活動の現実のとらえ方も、諸活動を担った諸個人により異なる場合があるでしょうし、そうなれば総括内容も異なってきても不思議はありません。従って、最低限自分の担った諸活動の①現実把握と諸活動の②反省は区別しなければなりませんが、これがなかなかうまくいきません。切開していくと相互に前提・措定の関係のようになり、うまくいかないのではないかと思うのです。複数人による組織的活動の場合は、当然①現実把握において複数人において一致していない場合も出るでしょうから、一致しているべき現実把握がなぜ一致していないのかという問題も出てきます。その場合、「四角のBの措定の問題も出てきますね。結果解釈が得意な人は、解釈できる現実しか措定できないでしょうね。多分永久に(笑)。(自分のことです。)
 でも、前進しなければなりません。悲惨な現実があるのですから。一歩前進、三歩後退もあるかもしれません。
 ご批判お願いします。
             (二〇二〇年九月二八日 玉造鉄二)

 

編集部注

「 四角のB 」については、北井信弘ブログの九月二五日の記事などを参考にしてください。なお、北井信弘ブログには https://ameblo.jp/nbkitai-ameba から入れます。

クソッタレ 白山某!

各位


 クソッタレ 白山某には
黒島さんの爪の垢でも煎じて飲んでろ!


哲学などという言葉を吐くな!



と言いたい。



 以上

    (二〇二〇年九月二七日  玉造鉄二)

 

 編集部注

 筆者が批判する白山については、北井信弘ブログの九月二四・二五日の記事に詳しく出ています。参照してください。

 北井ブログは https://ameblo.jp/nbkitai-ameba から入れます。

 黒島さんについては、九月一四日の当ブログ「なんと、破廉恥な!」をご覧ください。